【RIDEAIDinSAKAMOTO】球磨川温泉-豪雨災害の傷跡を辿る旅-坂本町【熊本-球磨川】
RIDEAID, 九州, イベント, 自転車, 写真,#RIDEAID #rideaidinsakamoto #papicross
舞台は熊本県八代市から球磨川を遡上した坂本町。
清流、球磨川が育んでくれた食と景色と災害の傷跡を辿る旅路。

かつての鉄道。再開することはあるんだろうか。
はじめに
本記事の文末に記載しているようにみ今回の記事を書くにあたって自身の知識や認識不足を感じたので様々な参考資料を読み漁りました。実際に図書館に足を運んで読んだ書籍も数冊あります。なるべく色んな視点から事象を観察して一つの記事とすることを心掛けていますが、一部主観もモリモリ盛り込んでいます。
球磨川温泉 鶴之湯旅館

佇まいからして美しい・・・!
公式ホームページはこちら
昭和二十九年に創業した地上三階地下一階の総木造三階建ての旅館です。 現在、国有形文化財登録の準備を進めています。 令和二年熊本豪雨災害で被災しましたが、 全国の支援者の方々のご協力を受けて令和三年十一月に一部再開。 災害の教訓を活かすべく「電気で備える新しい木造旅館」をコンセプトに、 太陽光発電・電気自動車などを取り入れ、 災害に強い地域の拠点として生まれ変わろうとしています。
(公式ホームページより引用)
場所は球磨川の真横、八代市内から車で3~40分の場所にあり、とても自然豊かな場所にあった。
雄大な山々と川の近くにあって木造建築物なものだから、一つの情景としての完成度が高いと感じた。
そしてその建物が凄すぎた・・・!
最近はいろんな法律や規制で建てることが困難になりつつある木造3階〜建造物。
自ずと残っている建物は歴史的なものが多いけれど、ここ球磨川温泉鶴之湯さんも例外ではなかった。
お手製のサイクルラックも味がある。
清廉な佇まい。
今回は特別に#RIDEAID #rideaidinsakamoto #papicross のためにスペシャルなお昼ご飯を用意していただいたいるとのことで、めちゃくちゃ楽しみだった。
もちろん建造物としても魅力的。
外観だけじゃなく内部も詳しく見学させていただくことができた。
一歩踏み入れた瞬間にタイムスリップしたような感覚に。
調度品の一つ一つに歴史を感じる。
古いものは明治よりも前の時代から残っているものもあるのだとか。
そして温泉。
今回は足湯だけ浸からせていただくことができた。
昔ながらのタイルデザインがどこか懐かしくもあり
それでいてどこも清潔だった。掃除がめちゃくちゃ丁寧にされているようで、館内どこも古いのに全然嫌な古さを感じさせない綺麗さ。普通の観光旅行の宿としても是非利用したいと思えた。
球磨川を眺めながら運ばれてくる涼しい風を感じることができる。
まるでちょっとしたバカンス気分。
都会の喧騒など、一切忘れることができる。
木造建築物のこの温もり。目にも優しい、触っても気持ち良い。どこか香りも豊かで、リラックスできる空間。
2階以上は宿泊部屋になっていて、今ではもう見ることが出来ない調度品の数々。
蚊帳なんて初めてみたかもしれない。
同行していた他の参加者の方の中には「懐かしいねぇ」とおっしゃる方もいた。
実家で昔、使っていた、と言うようなお話も。
私は漫画や映画作品の中でしか見たことがなかった。
こういった昔の文化に触れることができるのも、歴史ある建物を訪れる価値の一つだと思う。
そしておまちかねのお昼ご飯タイム!!
鮎。
鮎と言ったら球磨川。
球磨川と言ったら鮎。
それくらいにここ球磨川の鮎は有名らしく、秋頃になるとその大きさは驚異の30cmになることから、ここ球磨川の鮎は「尺鮎」と呼ばれて全国の釣り人の心を掴んでいるのだとか。
清流で育った鮎は身が引き締まり味が濃厚で調理するとホクホクのほろほろに。
今回は贅沢にもその鮎を
塩焼き
甘露煮
釜飯
3つの調理法で提供いただいた!!
なんと一人当たり3尾。
贅沢すぎる(^ω^三^ω^)
ああ〜〜〜申し訳ない〜〜〜
どん!
驚きの美味しさだった。
塩焼きも甘露煮も釜飯も美味すぎる。
鮎の塩焼きが大好きで、全国旅をしながら道の駅の売店とかで実演販売しているのを見ると絶対食べちゃうくらいには好き。
それをこうして焼き立てで食卓に並べていただいて、さらに他の調理法でもいただけるなんて。
さしずめ鮎三昧定食。
黙食と言うまでもなく夢中でみんな食べていた'`,、('∀`) '`,、
集落で栽培した無農薬の野菜や米、山菜、川魚を使った 田舎料理でおもてなし。 春はタラの芽、コシアブラ、蕨、ゼンマイなどの山菜、 夏は鰻、秋は球磨川の天然鮎、モクズガニ、冬はジビエをご用意いたします。(公式ホームページより)
その後はお宿のご主人である土山大典さんよりご挨拶をいただき、そして令和二年熊本豪雨災害時の貴重な話を聞くことができた。
佇まいがTHEご主人。
やっぱり同じ情報でも読むと聞くでは大違いだし、出来事の話の場合は実際にその場所にいるかどうかも情報の解像度に大きく影響すると実感した。
何もかもリアリティのある話で、話を聞きながらゾッとしたり震えそうになることも多々あった。
それでいて半分以上は「興味」の対象として話を聞いていたと思う。
感情移入してどうこうというよりは、私はどちらかというとその事象の発生した経緯や起こった事実や対応に目を向けることが多い。
東北を訪れた時もそうだった。東日本大震災。
震災遺構 仙台市立荒浜小学校。
被害の規模が甚大だったこともあり、全国の注目度も高く資料もたくさん展示されていた。
その資料を隈無く読んだ。
涙が出ることもあったけれど、学んで良かったと言う感情の方が大きかった。
日本に住んでいる限り、いつどこでどんな天災に遭うか分からない。
いや、最近は分かって来ている。
過去の出来事、データから災害の「予測」がある程度出来るようになっている。
これは紛れもない事実であって、何も起こらないと言える場所なんて日本には一切ない。
けどそれに対する認知や準備、対策には差が生まれる。
これはもう国や行政がどうこうではなく個人レベルでの対策に頼らざるを得ない部分もあるし、そうあるべきだとも思う。
当時の旅路はこちら
ただ心苦しいのはその災害が起こった後のこと。
現代の情報飽和時代にはどこそこで地震が起きてどんな被害が遭った、と言う情報がインプットされても翌日には他のニュースでかき消されてしまう。
よほどセンセーショナルな出来事でない限り、「そういえばそんなことあったよね」良くてこの程度にまで脳内で情報はデフォルメされてしまう。人間の脳は忘れるようになっているし興味のあることしかブックマークされない仕組みだから仕方ない。メモリにも限度がある。忘れることで身を守っている。
恥ずかしながら今回の#RIDEAID #rideaidinsakamoto #papicrossでも、私は令和二年の熊本県豪雨災害のことは記憶の随分奥底に仕舞われていたと実感した。
けどこうして実際に訪れてその土地の人の話を聞いて被害を見て体験したからにはもう二度と忘れないと思う。
ここに価値がある。
旅をする価値がある。
ただキーボードを叩いて仕入れる知識とは雲泥の差がある。
記憶に残る体系的な知識と言うのは一つ一つがバラバラの単発の情報ではなく複数のインプットを結びつけ合ったレゴブロックみたいなものだと思う。それは時には形を変えたり他のものと結びついて新しい形になったりする。だけど一つ一つのブロックは崩れない。残り続けて一片のピースを担う。
土山さんの話を聞きながら、そんなことを思い至った。
「一瞬でした。」
「警報からものの数時間で球磨川が氾濫して、この建物も浸水しました。」
「床下浸水ではなく、床上です。高さで言うとちょうどこの辺り。一階の柱部分、170cmくらいまでは濁流の中です。」
「混乱していました。たくさんの時間がかかりました。」
「泥を掻き出すだけで何ヶ月もかかりました。」
「再利用できるものはなんでも使って、復旧にもたくさんの支援をいただきました。」
「同じことが起こった時のために、建物全体のジャッキアップを計画しています。建物を丸ごと1.5m程度高くする工事を業者と話しています。」
「秋にはまた尺鮎を提供できると思います。完全予約制で宿泊も受け付けているので、ぜひまた球磨川の魅力を見にお越しください。」
次はまた違う季節に!
素晴らしいお食事とお話をありがとうございました。
道の駅坂本の記憶
続いで向かったのは道の駅坂本。
今回はさらにバトンを繋いで道の駅坂本の駅長である道野真人さんのアテンド&お話を伺えることに。
とてもパワフルで活気のある人で、声がめちゃくちゃ通る。
自転車に乗りながらでも10m離れてても声が聞き取れるレベル。すごい。
詳しい話は道の駅で聞くとして、道中で印象的だったのが「荒瀬ダム撤去」跡。
言われなければかつてそこに巨大なコンクリートダムがあったとは誰も気づかないと思う。
日本で初めて撤去された本格的なコンクリートダムとして当時ニュースになったほど。
今回の豪雨災害を語る上では実際の被害とセットで言及されることの多い荒瀬ダム撤去。
素人考えではこうなりそうである。
「ダムがなくなったから治水能力を超えて洪水になったのでは?」
一方でこういう考えにも至る。
「もしダムがあったら治水能力を超えた時に「緊急放水」をして被害はもっと大きくなっていたのでは?」
つまり正解なんて分からない。それを答える立場でもないし知見も足りていない。
だから勉強をした。
ダム建設問題となると、大抵、二分される。賛成か反対か。
これはもう昔からどのダムにおいても必ず起こることであり、対立する意見も大抵似てくる。
「大切なのは落とし所を見つけること」と道野さんは語っていた。
ダムの賛成にも反対にも「絶対」はない。だから補完的対策なども含めて総合的に判断する必要がある。
これはダムに限らない話で、自然を相手に何かを造ると言う時には必ず起こる話だ。
ダムだけじゃない、農業だって漁業だってそう。
人間が自然と対峙して戦ってきた歴史でもあり、共存の歴史でもある。
自然からしたら人間の力なんて微々たるものであり「共存」なんて言うのは人間の一方的な押し付け、エゴだと個人的には思う。
それくらい自然は無慈悲で圧倒的と言うこと。
土地を開墾してお米を作ることもダム建設も本質的な問題は同じだと思う。
生命・財産・生活を守ること。そしてそのためにリスクを負うこと。
このバランスを考え抜いて落とし所を見つけることが大切ではと、改めて考えさせられた。
道の駅坂本は今でも営業をしている。
建物の大半は今でも復旧しておらず崩れたままだけれど、一部を立て直して営業をしていて、球磨川の恵みである鮎を買って帰ることもできる。
かく言う私も鮎の甘露煮をお土産にゲットした。自宅で食べて改めてその美味しさに感動した。
ここでも貴重な当時の話を聞くことができた。
「垂直避難の重要性を実感しました。」
「進水が早すぎて、避難が間に合わない。だから車ごと建物内に突っ込んだんです。そして車の窓から身を乗り出してボンネットに上がって、そこから建物の2階部分によじ登りました。」
「今でも浸水跡が道の駅内に残っていますし、向こうのレストランや市場は閉鎖したままです。」
「近隣の建物でダメになったところから資材をやりくりしたりして復興に活用したりしています。」
「今回は坂本地区等、比較的上流地域がが大きな被害を受けたけれど、ちょっと何かが変わっていれば、八代市内(この辺りでは最も大きな町)も甚大な被害を受けていた可能性が十分にあります。」
「治水の在り方を探って十分に考え抜くことが大切。」
「こういう風にまず知って欲しいと思っています。サイクリストの皆さんにも是非この土地を訪れて豊かな自然と食に触れて欲しいです。」
やはりリアルな話を言うのは臨場感が違う。文章では伝えきれないのがもどかしい。
気になる人は是非現地を訪れて体感して欲しい。もちろんサイクリング目的だけで訪れても良い場所で、鮎の甘露煮は絶対にお土産として買って帰ってほしい!
復興のキーパーソン
道野さんの話を聞いて道の駅を後にしようとすると、たまたまそこにいらっしゃったのがこちらの方。
溝口隼平さん。ラフティングなどの川遊びを提案するReborn代表。
たまたまいらっしゃったということで、道野さんの提案もあり急遽溝口さんの事務所へお邪魔することに。
浸水した場所を示してくださった。縦写真で撮ればよかったけれど、溝口さんがいる場所がそもそも2階。さらにそこから天井近いところまで濁流が押し寄せた。
清流球磨川の魅力を全身で浴びることができるラフティングツアーを始めとした様々なアクティビティを提案されているのだとか。
大学でダム撤去に伴う環境変化の研究をしていた溝口さん。
日本全国初のダム撤去がここ坂本町で実施されることを知って移住してきたのだとか。
ラフティング会社を設立し、清流を楽しめるアクティビティを開発して提供をして事務所まで構えたけれど、突然の災害により流されてしまった。貴重な文献もたくさん置かれていた「瀬戸石ベース」という素敵空間も失くなってしまったのだとか。
普通ならどうだろうか。
そこで事業撤退をして諦める人も少なくないと思う。
なんならこの土地から離れてどこか穏やかな場所で仕切り直そう、という人も多いんじゃないだろうか。
けど溝口さんのバイタリティは凄まじく、災害復興の陣頭指揮を執ることになる。
連日ボランティアの人たちを取りまとめ、復興が必要な場所の情報を仕入れて、人と物資と機材を割り当てていった。
手が足りない場所があれば自らが赴き、作業を効率化するために重機運転の資格も取得して、復興支援と復興作業そのものを担った。
それに加えて自身の事業、ラフティングガイドを継続し、こうして盛り上げるためにこの土地に残って戦っている。
とても印象的だったのが、言葉の端々から、水害の被害に遭いながらも川を愛している様子が伝わってきた。
そして何より元気がある。
バイタリティがすごい。
「ここで、生きている」と言葉にせずとも元気に叫んでいるようなイメージが見えてくるくらい。
それは球磨川温泉鶴之湯の土山さん、道の駅坂本の道野さんも同じだった。
話の内容は凄まじく心折れそうな内容なのに、悲壮感がない。
前を向いている。
この地に強く逞しく立っている姿がどこまでも印象的だった。
球磨川を辿って八代市内へ
旅は終わりへ。
球磨川沿いを辿って八代市内へ。
残りわずかな距離だったけれど、かつての濁流を想像できる光景がひたすら続いていた。
かつての鉄道の上には復興災害用の車両を通すための道が出来ていた。
このまま廃線になるのだろうか。道はこの後どうなるんだろうか。
「3.6m」数字で聞くのと実際に目の当たりにするのでは大違い。
川はもっと下にあるのにこの高さまで水が来るなんて想像が出来ない。
左手の球磨川がその高さまで来るなんて。
今ではすっかり美しくラフティング遊びができるまでに。
是非一度、鮎を食べに、そしてラフティング遊びをしに、再訪したいと思う。
もう2年も経って、戻りつつ日常光景がありながらも、まだまだ傷跡もたくさん残っていた。
#RIDEAID #rideaidinsakamoto #papicrossを終えて
少しいつもの楽しい旅記事とはテイストを変えてお届けすることになった今回の旅路。
RIDEAIDを通じて自分自身の新しい知見が広がったと感じている。
それは途中で書いたような知識の体系的な広がりと、物事を観察する目や耳、脳が変化した。
今年も全国各地で発生している豪雨災害。きっと来年も再来年もずっと続く。
イタチごっこと言えばそれまでだけれど、次に活かすことができる経験則もたくさんあって、そこをキャッチアップして身につけることができるかどうか。ここに人類の叡智が詰まっていると思う。
今回は「たまたま」熊本県坂本町が舞台になった。
けれど同じような問題や課題、そしてまだ知らない魅力がある場所って全国にたくさんあるんだと思う。
旅をすればする程、知識や経験が身につくと同時に、まだまだ未熟だなぁと実感する。
こういうことを繰り返して、また次の旅路が豊かになるのだなぁとも。
改めて今回主宰いただいたPAPICROSS、牧瀬さんを始めとして
一緒に旅路を共にした参加者の方々
鶴之湯旅館の土山さん
道の駅坂本の道野さん
Rebornの溝口さん
皆さんに感謝。
そしてこの記事を読んだ方が少しでも熊本県に興味を持って
願わくは実際に坂本町を訪れていただければ幸いです。
今回の記事を書くにあたって自身の知識や認識不足を感じたので様々な参考資料を読み漁りました。
なるべく多角的に捉えるために、色んな性質のメディアや記録をチェックしています。
治水技術やダム建設、そして今回の豪雨災害の記録をより詳しく知りたい方は是非どうぞ。
参考資料
人影消えた集落、荒れ果てた田…球磨川流域に日常が戻る日は (西日本新聞)
球磨川・荒瀬ダム撤去がもたらしたもの (つり人オンライン)
企画 | 寄稿 川のある暮らし (さとびごころ)
荒瀬ダム撤去が、教えてくれたこと (patagonia)
令和2年7月4日球磨川大水害は何故起こったか? (公益社団法人大阪自然環境保全協会)
2020・7・4 球磨川水害覚書 -川辺川ダムがあったとして水害を防げたか?- (日本自然保護協会NACS-J)
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