【熊本県】通潤用水-通潤橋〜円形分水〜熊延鉄道遺構を巡る旅【RIDE AID in SAKAMOTO】
RIDEAID, 九州, 自転車, 写真, ロングライド, 輪行,
訪れるまでは図書館で読んだ本の知識しかなかった。
それにしてもこのエリア、上流に向かえば向かうほどどんどん景色が良くなっていく。
熊延鉄道遺構を満喫した後は、一気に八代方面まで愚直走り。
RIDEAID,
九州,
自転車,
写真,
ロングライド,
輪行,
熊本県山都町の治水技術。
協力として参加することになった「RIDE AID in SAKAMOTO」のセルフプレイベント的な意味も含めて当該地区を旅してきた話。
知ると見るでは大違い!
卓越した治水技術を目の当たりにして大興奮して来ました。
今回の旅のきっかけとなるRIDE AID in SAKAMOTOの基本情報についてはこちら
本編についてはまた後日。(ブログを書くつむりが追いついていない)
旅の装備
いつものTADAクロモリフレーム。SRAM RED eTAPにフルクラムレーシングゼロカーボン。
最近の変更点としてはタイヤをパナレーサーのアジリストDUROに変更した点。ノーマルに比べてロングライド向き。乗り心地、安定感、申し分なし。
サドルバッグにはサンダルを固定。今回のように輪行+連泊旅においてはサンダルは必須。ちょっとした時の快適性が全然違う。具体的には新幹線の中、温泉街を歩くとき、宿で過ごす時、観光する時など色々。今回も大活躍だった。固定に使用したのはとても汎用性の高いマジックテープで、バイクパッキング全般に使えておすすめ。
(何より安い)
前日入り
遠方旅の場合は、ここ最近、前日入りすることが増えてきた。
前日入りのメリットはとても多い。
・夜の時間を移動時間に充てることができる
・当日朝の睡眠時間を長く確保することができる
・かつスタート時間を早めることができる
などなど。
デメリットとしては余分に一泊分の宿代がかかることだけれど、たいてい素泊まりを選んで4〜5千円程度。上記のメリットを思えば安いものと思ってる。
朝、バタバタしながら新幹線に飛び乗るよりもゆとりがあって安全。
あと流石に熊本くらい遠いと、例え始発で出てもスタートできるのが9時を過ぎてしまうので。
と言うわけで夜のうちに新大阪駅から熊本まで新幹線でワープ。3時間30分程度。
夜の熊本駅。ホテルはすぐそこ。さすがにこの時間帯ということで街は静まり返っていた。
こういう時間帯、知らない土地を訪れるとなんとも言えないモラトリアム感に包まれる。こういうのも前日入りのちょっとした楽しみだったりする。兎にも角にもこの日は早めに就寝。
熊本市内から八瀬川〜御船川へ
知らない天井だ。
カーテンを開けると素晴らしい青空。テンションが上がらざるを得ない\\\\ ٩( 'ω' )و ////
とは言え、夏。
猛暑、とまでは言わなくても今日も暑くなりそうだった。
というわけで準備が出来次第、早めにスタートすることに。暑い時間帯の走行を避ける、あるいは休憩を多く取るためにも、夏場こそ早くスタートするメリットが多い。
熊本市内を駆け抜ける。今日は山都町エリアが目的地だったから熊本市内はスルー。
最初は交通量が多いものの、すぐに少なく快適に。というか大阪に比べるとどこを走ってもたいてい交通量が少なく感じる。それに圧倒的に自転車や歩行者が少ない。大阪ほど自転車大国の都道府県はそうそう無い。逆に地方の車社会っぷりにいつも驚く。駐車場がないと売上に影響するという話も納得。
気温がどんどん上がっている気がした。
早めに耐日光用のネックカバー兼マスクを装着して肌の露出を抑えることに。
さすがの私もこの夏においては日焼け対策はしっかりと。日焼け対策、というより火傷対策といった方が正しいかもしれない。
ヒライだ!熊本と言えばのヒライだ!
思えばここも最初の#RIDEAID #rideaidinaso #papicrossの際にPAPICROSSの中の人に教えてもらったお店。その時に食べたちくわサラダの美味しさが今でも忘れられない。そういえばこの時間から開いているんだった。無理にホテルでコンビニで買ったおにぎりを食べる必要なかった。北海道にセイコーマートがあるように、熊本にはおべんとうのヒライがある。
淡々と東へ進んでいると、道中、クロスバイク乗りの人と道路越しにすれ違った。自転車に乗る人なら分かると思うけれど、反対車線でも自転車乗りとすれ違う時にはチラッと見るものだ。知り合いがどうこうとかではなく、なんとなく気になるのだ。ウエアとか機材とか。で、その時も何気なしにすれ違ったのだけれど、こっちをよく見てるな〜〜とは感じた。
そしたら案の定・・・・(?)
家出てすぐに、つむりさんおった。
— onimasa (@onimasa1111) July 23, 2022
通潤橋向かうって pic.twitter.com/iiG8KYWHu2
「もしかしてつむりさんですか?」
いただきました!'`,、('∀`) '`,、
まさかのonimasaさんだった。何年ぶりだろう。お久しぶりです!だったのに顔と名前とアカウントが一致していなくて、後からそういうことが分かって申し訳ない限り。(゚´^ω^`゚)。゚
本当に偶然でドンピシャのタイミングだった様子。
今から通潤橋へ向かうと話をすると、有難いことにローカルな道情報を色々と教えていただくことができた。地元情報ほど頼りになるものはない。結局のところ情報とは全て人によってもたらされる。図書館においているどんな立派な本も、ネット上の有象無象の情報サイトも、裏側にいるのは人であって、そこに近ければ近いほど得られる情報の粒度は上がると感じることが多い。
旅をする際の一番の情報源は間違いなく現地の人情報だ。短いながらもお話しできてありがとうございました。
気持ちの良い御船川沿いの道をどんどん登っていくと、今回の最初の目的地である下鶴眼鏡橋に到着。私のブログを見ていただいている人だと「灯台ハント」は定番になりつつあると感じていただいていると思うけれど、最近のマイブームに「橋」が追加されたことをここに記しておく。橋についての興味深い本を先日読んで以来、ハマってしまった。それも土木工学的な観点も含めた橋の本を読んだせいでついつい橋の立地や構造、製法をあれこれと妄想したり観察したりすることに楽しさを覚えるようになってしまった。いや、これが本当に面白くって、ここで書くと旅が進まなくなってしまうから割愛という名のセーブ。
石に刻まれた橋名からして歴史を感じる。
なかなかユニークな解説文章。単一石造アーチ形式と言う点を補足しておきたい。
全国を旅していると、昔から続くいろんな建築物にはこの「石」がとても重要な役割を担っていることが良くわかる。それこそこういった「橋」から「お城」「社寺仏閣」までその用途はさまざま。摘み方にしたって用途に合わせて最適化、あるいは試行錯誤された歴史を知ることができて、かつての先人の知恵を垣間見ることができる。
これぞ単一石造アーチ形式。この「アーチ」と言うのは現代建築物においても様々な場面で採用されている構造的に大変強い構造。建設をするプロセスにおいても合理的で、効率的。そして何よりトラス構造や吊り橋と比べて、極めて美しいと思う。ちなみにこのエリアには石造りアーチ橋がものすごい数、存在している。橋好きにはたまらないのがここ熊本県。
通潤用水エリアへ
それにしてもこのエリア、上流に向かえば向かうほどどんどん景色が良くなっていく。
だから進むのがとても楽しい。緑の鮮やかさとか、川の綺麗さとかが、どんどん濃くなっていく感じ。
実際、綺麗なんだろう。見て分かるし匂いでも分かる。鳥や虫の鳴き声もどんどん豊かになって来た。
五感が喜んでる。
国道445号線。緑川沿いに八代方面へ。この日の宿は新八代駅近くだったので。



緑豊かで美しく、そして漏れなくこの一帯にも美しい石造りアーチ橋が点在していて、橋好きにはたまらないロケーションだった。全てを紹介しているとキリがないレベル。気になる人は是非その目で確かめて見て欲しい。
そもそも通潤用水とは何か。これについては調べると色々と出てくる。要約すると限りある水を、ただそこにあるだけでは活用しきれない水を、生活に根ざした形で有効活用するこのエリア一体の治水技術や施設の総称である、と言える。用水路の総延長はおおよそ40kmにもなると言われていて、無駄なく水を活用するために一度棚田を経由した水が再び水路に集められて再活用されるなど、発想とそれを広範囲、少ない高低差の中でも実現する技術が凄まじい。通潤橋や水路、円形分水を見てきたけれど、安政2年、つまり1855年から現代まで棚田を潤し続けているんだから半端ない技術だと思う。
2014年にはこの技術や継続性が評価されて、「世界かんがい施設遺産」に登録されている。
そのうちの円形分水までやってきた。通潤橋からはちょっと距離があって、自転車でアクセスするにしても強制的にヒルクライムさせられるやつ。だけれどここは訪れなければ!と思っていたので。
通潤橋の上流にある小笹円形分水にやって来た。田畑面積に応じて水量を調整するすごいやつ。 pic.twitter.com/sLWB2ObtVJ
— 神楽坂つむり (@tsumuri_f5) July 23, 2022
美しい・・・。
そもそも円形分水と書いているけれど、一般的には「円筒分水」と呼ばれるもの。農業用水などを一定の割合で正確に分配するために造られる利水施設のことを指す。川の水を取り込んで、外周部分から落下させたり越流させて、外縁部の穴や仕切りによって分配するという仕組み。この円形分水のおかげでこれまで水を確保するのが難しい地域の人たちにも水が届けられるようになったのだとか。見た目で分水比率が分かるから、無用なトラブルも起きにくいらしい。
造られた背景も、使われる技術も、とても興味深いし、実際にこうして目の当たりにすると体系的な知識となって身に付く。旅の楽しさってこういう知ることにもあるよなぁ、と改めて思う次第。良いものを見られたと思う。
この場所でそういったことを勉強できたのは、たまたまそこにいらっしゃったおばあちゃんに教えてもらったから+解説看板から。そのおばあちゃんの情報で急遽、近くにあるという大きな松を見にいくことにした。
「唐傘松」と言うたいそう立派な松があるそうな。
まるで昔話の導入みたいだ。面白そう、と言うことで行ってみたらなかなか大変な道で苦労した。
道なき道を進む羽目になった。車じゃ無理では???
道なき道を出た先には解放感たっぷりの田園風景、丘陵地帯が。まさかこんな景色が見られるなんて思ってもいなかった。目印となるものが何もない。今自分がどこにいるのかもよく分からないけれど、以外にもGoogleマップにはしっかりと唐傘松の情報が載っていたから迷わずに辿り着くことができた。
写真で伝わらない大きさ。比較物がなく辺りが広大すぎる。目の当たりにして遠景では大きさが分からなかったけれど、近づけば近づくほどとんでもなく大きいことが分かった。300年以上ということは、私よりも10倍以上の歳月を過ごしていることになる。大先輩だ。
生命力とはこういうことを指すんだろうな、と感じた。ものすごく力強さを感じた。
近くで見てから遠くから見ると、最初に遠くから見た時よりもずっと大きく感じた。
存在感がものすごい。
畏敬の念も湧いていたと思う。丘の上に佇むその姿たるや、一級品。思いがけず素晴らしいものが見られて大満足だった。
通潤橋のある街。
熊本県上益城郡郡山都町。
ここにとても素敵なラーメン屋さんを見つけたので紹介。
おちかラーメンというラーメン屋さん。
路地裏にあって、たまたま前を通りかかった時に気になった。
何が気になったかと言うと、チラッと見えた店内が満席だった。
「こんな場所の・・・言ったら失礼だけれどこんな外観で・・・?」
導かれる答えは美味しいに決まっている。後からGoogleマップの評価を見ても納得の余裕の4.0越えだった。
で、実際にどうだったかと言うと、「今まで食べた熊本ラーメンの中で一番美味しい」
ガチです。ニンニクたっぷりでスタミナつきそうな味付けなのに全然くどくない、辛くなくって、お箸がとても進む。勝手に進む。スープも麺も食欲を増進させる何かが入っているとしか思えない。チャーシューもネギも卵も全てこのスープと麺に合うように出来ていると思う。こんなの食べたら元に戻れない!こうして記事を書いている今、ものすごく食べたくてお腹が空いてきてしまった。たまんない。通潤橋は観光地としても有名だと思う。けどこっちはどうなんだろう。興味がある人は騙されたと思って足を運んでみて欲しい。店内の雰囲気も含めてめちゃくちゃ美味しい。
さて、肝心の通潤橋を見て来ました。うん、もうね、見ただけで垂涎ものですよこれは!!!
こいつを見てくれどう思う美しいだろう・・・。
先に紹介した石造りのアーチ橋という意味では同じなんだけれど、なんだろうこの美しさ。
直線と曲線が織りなすアート。アーチ橋でありアート橋。水面に反射するアールすら美しい。
これが水道橋なんだからこれまたすごい。
嘉永7年(1854年)、水不足に悩む白糸台地に水を送るため、矢部の惣庄屋・布田保之助によって造られた日本最大級の石造りアーチ水路橋です。
水路の長さ126m、橋の長さ75.6m、橋の幅6.3m、橋の高さ20.2m、アーチの半径27.6m。約6km離れた笹原川の上流から水を引き、水路の総延長約30km、灌漑面積は約100haにも及びます。一昼夜で15,000平方メートルの水を送り、水田を潤す力を備えています。1960年(昭和35年)に国の重要文化財に指定され、豪快な放水は有名です。公式サイトより
水路の長さ126m、橋の長さ75.6m、橋の幅6.3m、橋の高さ20.2m、アーチの半径27.6m。約6km離れた笹原川の上流から水を引き、水路の総延長約30km、灌漑面積は約100haにも及びます。一昼夜で15,000平方メートルの水を送り、水田を潤す力を備えています。1960年(昭和35年)に国の重要文化財に指定され、豪快な放水は有名です。公式サイトより
また2016年に発生した「熊本地震」によりこの通潤橋も被害を受けていた。橋上の通水菅からの水漏れや漆喰の破損、手摺石の崩落などがありしばらく放水も中止されていた。2017年から修理工事が開始されて、橋全体のメンテナンス、補修、通水菅の修理などが行われた。
さらに2018年5月には豪雨災害により写真にも写っている橋の右側の石垣が崩落。1854年以来、通潤橋の石垣が崩れたのはこれが初なのだとか(それはそれですごい)ここでも石垣の積み直し作業が実施されて復旧に向けて多くの力が注がれた。
今回、熊本県を訪れるきっかけとなった豪雨災害、そして過去に阿蘇で開催されたRIDE AID in ASOにも繋がる熊本地震の爪痕。そして復旧に向けた取り組み。度重なる災害に遭いながらも復旧を目指す姿に心打たれてしまった。
そしてなんと、ちょうど私が訪れたタイミングで放水が見られるということで大興奮。
放水が始まるまではまじまじと石造りの構造を眺めて楽しむ。
卓越した技術とはまさにこのこと。理屈は分かるけれどアーチ橋の堅牢さに驚くばかり。
金属には到底表現できない(逆に石造りでは表現できない金属の素晴らしさもある)橋自体が生きているような生命力すら感じるオーラに思わず何度もシャッターを切ってしまった。
そして放水の時間。
係員の人が橋の上で操作をした瞬間に、最高に美しい瞬間が撮れた。
ぜっけーかな!!!
勢いが凄まじい。放水量がものすごい。
想像以上だった。
写真で見ていただいたら分かると思うけれど、普通に下に落ちるとかじゃなくって、吹き出してるレベル。橋の高さと同じくらい横方向に水が噴き出しているのが分かると思う。確かにここまでの水圧だったら水路内のゴミや詰まりを除去するためには有効なんだろう。
この放水イベントも曜日や時間が限られていて、さらにあくまで農業用水だから事情によっては放水をしないこともあるみたいで、たまたま見られたのは本当にラッキーだった。
せっかくだから思い切って近づいてみる。
圧が!すごい!一瞬で!濡れ鼠!!!
動画はこちら↓
通潤橋の放水激し過ぎるだろ! pic.twitter.com/bKPIstshvZ
— 神楽坂つむり (@tsumuri_f5) July 23, 2022
(冗談抜きで濡れまくります。必ず防水カメラで撮影しましょう。夏場は最高のシャワーです。)
放水時間は15分ほど。
最高の芸術品を見られて大満足でした。
熊延鉄道遺構
国道445号線。緑川沿いに八代方面へ。この日の宿は新八代駅近くだったので。
下り基調の山間部の気持ち良い道を駆け抜けていく。




緑豊かで美しく、そして漏れなくこの一帯にも美しい石造りアーチ橋が点在していて、橋好きにはたまらないロケーションだった。全てを紹介しているとキリがないレベル。気になる人は是非その目で確かめて見て欲しい。
その道中に訪れたのが熊延鉄道遺構の八角トンネル。
熊延鉄道。読めるだろうか。
熊(ゆう)延(えん)鉄道。ゆうえんと読む。
「熊」と「延」九州南部でこの頭文字と言うとそう、熊本と延岡のこと。
正確には南熊本駅に開通した鉄道であり、計画では宮崎県の延岡市までを繋ぐ計画だったのだとか。1915年ごろの話。ただ実際にはその計画は頓挫する。砥用駅(ともち)までの28.6kmの鉄道となる。当時は旅客の他に砂利や石灰石などの資材運搬も担い、交通や貨物の重要な役割を担っていたらしい。
1964年に廃線になるまでの間には蒸気機関車やガソリン旅客、ディーゼル機関車などさまざまな車両が走って来たと聞いてロマンを感じた。廃線からもう半世紀経過するけれど、辺り一帯には今でも古い駅板やプラットホーム、線路、橋脚などを見ることができる。
その中でも度肝抜かれたのがこの八角トンネル。
自転車を停めて歩くこと5分足らず。鬱蒼とした森の中に突如現れるのがこの八角トンネル。
熊延鉄道遺構を代表する名所らしく、だけど人は全然いなかった。
こんなところまでわざわざ足を運ぶ人は少ないのかもしれない。
かつては私が写真を撮っているまさにこの場所にレールが敷かれていて、その上を蒸気機関車が走っていたらしい。何と言うロマン。何と言う人類の意地。
下に入って気付く。これはトンネルではない・・・??
どうやら構造物的にはトンネルではなく、路線の両側の岩が崩れるのを防ぐために造られたものなのだとか。それにしたってどうしてわざわざ八角形にしたのか。どうして間隔を開けていくつも造ったのか。どうやら諸説あるものの、構造も形も本当のところは謎のままらしい。
まるでタイムスリップしたかのような感覚。
今にも緑の向こうから煙を出しながら蒸気機関車が走ってくるようなーーー。
ホワイトノイズのような蝉の声に包まれながら、何だか不思議な感覚に陥った。
熊延鉄道遺構を満喫した後は、一気に八代方面まで愚直走り。
山を越えて川沿いを降り国道3号線に合流してひたすらペダルを回して夕方ごろにはゴール。
こうして初日の自転車セクションは終了した。
もう少しこの日は続くのだけれど、ここから先は
#RIDEAID
#rideaidinsakamoto
#papicross
として別記事で紹介。
兎にも角にも熊本県の通潤用水と熊延鉄道遺構を辿ることができて大満足。
考えたらいつまで見られるのかも分からないものばかりだった。
「いつか行きたい。」「いつか見たい。」は機会ロスでしか無い時代。
改めてフットワークを軽くして体験すること、経験することの価値を再認識した旅でもあった。
続く。