【九州旅】峠と茶畑と海を越えて阿蘇へ【嬉野温泉〜俵坂〜雲仙島原〜熊本】
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知らない天井だ。
ぐっすり眠ることができた。
とても目覚めが良かった。
いつもより少し硬い布団から身体を起こし、カーテンを開けると眩しい光が差し込んで部屋全体を一気に明るくしてくれた。
ここでようやく頭がはっきりとしてきた。
ここは嬉野温泉。佐賀。今日は旅の2日目。
グッドモーニング佐賀!(言いたいだけ)
晩ご飯は外だったけれど、朝ごはんは付いていた。私は旅先で宿を取るときは、なるべく朝食付きで探すようにしている。夜ご飯はどちらでもいい。理由としてはやっぱりしっかりとした栄養補給をしたいから。特に自転車旅中は自分で思っているよりも体力を消耗していることが多い。疲労は仕方ないにしても、せめてカロリー収支はマイナスは避けてできればプラスに持っていく、くらいの準備をしたほうが、結果としてエンジンの調子が良いことが大半ということが過去の経験で分かってるので。
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民宿の朝ごはんともなれば、栄養バランスもボリュームも申し分ない。それでいて1千円程度で済むことがほとんどだから迷わずお願いするようにしている。朝食を食べることができる一番早い時間にお願いしたら寝過ごすこともなくなる'`,、('∀`) '`,、
とても正しい朝ごはんをいただきました。おひつの中身も全て完食してエネルギー満タンです。
出発!
お宿を後にして少し時間があったから朝の嬉野温泉を散策することに。
日帰りだと見ることができないのがその土地の朝と夜の風景。宿泊することでこの時間帯の街の様子を知ることができて、それは例えるならば素顔みたいなもので、特に観光地ともなれば日中の賑わいだけではない、リアルな生活を垣間見ることができてその土地に対する解像度が上がる、から好き。
さて、向かうは長崎県へと向かう俵坂。
前回書いた通り、今回の旅のきっかけはゾンビランドサガ リベンジにおける夕霧さん回「佐賀事変」
その楽曲の歌詞である「三瀬峠 俵坂 地獄だって会いに来て」なのだから。
まぁ嬉野温泉から長崎、大村へ抜けようとすると自ずと選択肢に上がるのもここ俵坂。
正式には国道34号線であって一般的に俵坂と呼ばれているのかは分からないけれど、私の中ではここはもう俵坂としか呼ぶことができない。
峠と言っても全然大したことはない。斜度も緩いし距離も短い。そして下りがとても長い。これは嬉野温泉の標高が少し高いことと、峠の下り道は大村湾、つまり海まできっちり下りきるから。
私が目指したのは俵坂の番所跡。これは国道沿いにないから要注意で、ピークの少し手前の脇道に逸れると見ることができる。一応国道上に看板があるから見落とすことはないはず。嬉野温泉方向から行くと右手に位置する。
日本の原風景を思わせる小道を行くとそこに番所跡があった。
廃藩置県で無くなったかつての番所跡だ。
佐賀県よ、さらば。
そして長崎県入り。
嬉野温泉からずっと茶畑が続いていて、あちこちに「うれしの茶」っていう看板が続いていたけれど、長崎県に入った瞬間に「そのぎ茶」に名称が変わって笑ってしまった。同じお茶でも県を跨げば名前が変わる。そして知名度も変われば売上も変わる。ブランディングって大事だ。
ここで地図をまじまじと眺めている時に気になった場所があるから立ち寄ることに。
彼杵に位置するけれど、情報がとにかく少なかった。Google マップ上の評価こそ良いものの、どこを探しても情報が出てこない。けれど「広域農道」そして「お茶畑」そして数キロ圏内に大村湾があって、さらに高台の上となると、これだけで良い予感がする。こういう幾つかの情報から旅の目的地候補を決めていく作業が楽しい。
実際に行ってにると大正解でした。
大村湾を望む、彼杵茶の一大茶葉生産地。
高低差と面積がものすごい。この一帯だけで一つ作品が作れてしまいそうなロケーションだった。
ちなみに彼杵と書いて「そのぎ」と読む。全然覚えられなくて何度も「ええと・・・しのぎ?こぞも?そのき?」とまぁ脳内変換ができずなかなか定着しなかった。多分一年後には忘れている気がする。
さて、彼杵茶畑を堪能したところで、向かうは彼杵駅へ。
そう、ここから輪行旅へ移行。
昨日宿で今日の天気予報を見ているとここから先は50km程度向かい風であることがわかっていた。
それに諫早まで街中を突っ切ることになる。
ここでストレスを溜め込んでまで自走する意味を見出せなかったから、さっくり輪行することに。
こういう時の諦めの早さというか、切り替えの早さは我ながら軽いと思う。
それに今日の総走行距離を考えると少し体力をセーブしたい、というのもあったのと、実は結構地方のローカル鉄道が好きだから、というのもある。もちろんJRの地方路線も好き。
しばしの電車旅。
大村湾の美しい海景色を眺めながら諫早駅へ。
ここから島原鉄道に乗り換えてさらに先の古部駅まで輪行することに。
島原鉄道は知らなかったのだけれど、観光鉄道と化してるらしい。
確かに地図を見ると途中からはひたすら海沿いを走る。ぴったりと走る。絶対景色が良い。
車窓から眺める有明海というのも雅だろうな、と思いつつそのトレードカラーである黄色に塗られた列車に乗り込んだ。
電車ではない。
加速と減速のたびにエンジン音が唸る。
都会の電車のような静かさは皆無。
そういえば地方の人が都会に出て電車の静かさに驚いた、という話を聞いたことがある。それに揺れも圧倒的に少ない。揺れを体験したい人は、特急「やくも」や「くろしお」に乗ってみて欲しい。漏れなく電車酔いを体験することができる。たっぷり時間がある人には山陰本線もおすすめだ。半日間ずっと揺られ続けることができる。
古部駅で降りてみた。
むしろ放り出されたような感覚。
なぜかというと、何もない。
これだけである。ザッツオール。
海が近い。
何もない。
そしてとても静かだった。
しばらくボーッと過ごす。電車に乗る予定もなくただただ土台が築かれだだけの駅のホームで海景色を眺めるだけの時間というのも、考えてみれば贅沢な気もする。
さて、ここからは島原半島の外周部をぐるっと走って島原外港まで。
ずっと昔に走ったことがある。
その時のことは今でもよく覚えている。10年前だ。
今よりもっと拙かったけれど、楽しいと感じるところは今も何も変わっていない。
途中、島原鉄道で最も有名な駅であるところの「大三東駅」に立ち寄った。
これで「おおみさき」と読むらしい。これも読めないし、漢字変換で全然出てこない。
どうして有名かというとキリンレモンのCMでこの駅が使われて一躍有名になったのだとか。
「日本で一番海に近い駅」とも言われるそうで、下灘駅や雨晴海岸のことを思い出したけれど、確かにここの方が近い気もする。けれどさっきの古部駅とも変わらない気もする。
ちなみにそのCMがこちら
行ったことある〜〜〜!(突然の聖地巡礼済みアピール)
さて、島原。
島原といえば島原城と、その城下町。
だけれど残念ながらフェリーの時間が迫っていたから、今回はお城だけサクッと見ていくことに。
島原城は有明海からほど近く、雲仙岳の麓に位置し、自然豊かな風光明媚な場所に位置するお城で、完成したのは1624年。
歴史的に面白いのは廃藩置県で島原県になったことがある、ということで、実は長崎県ではない時代が存在する。1871年のことだからそんなに昔でもない。もったいないことに廃城令の煽りも受けて、1876年には天守以下の建造物が破却されてしまった。代わりに本丸があった場所には畑ができて、三の丸には学校が建設されて、これは今でも残っている。
建設当時から残っているもの、つまり江戸時代から残っているものは石垣と堀だけになってしまったけれど、その二つの存在感がやっぱり時間の流れを経ているからか、明らかに存在感が違っていた。
島原港からは熊本フェリーを使う予定だったのだけれど、機材トラブルでここ2週間くらいまるっと運休しているとのこと。この情報を知った時は「詰んだ」と思ったけれど、幸いにももう一社、九商フェリーが運航していたから助かった。なぜかこっちも定期メンテナンスの影響で減便ダイヤだったから、とにかく選択肢が少なかった。有明フェリーもあるけれど、これは到着する港が少しずれるから却下。
九商フェリーに無事に乗り込んで長崎県から熊本県へ。
ちなみに自転車はそのまま車両甲板へ。輪行することも考えたけれど、大して料金差がなかったので!
熊本港までの1時間ほどの船旅。
有明海から眺める島原半島の美しさに見惚れてしまった。
見惚れているうちに眠ってしまっていたようで、気づいた時には熊本港に到着していた。
海風を浴びながら寝るのってどうしてこうも気持ち良いんだろう。
さて、ここから阿蘇まで愚直走り。
距離にして50kmちょっと。標高差は600m程度。
ひたすら走る。ほぼノンストップ。
熊本市内を抜けて、空港の横をかすめて、眼前に迫ってくる山岳地帯へ突入。
山岳というよりも阿蘇はそれ全体がカルデラだから、山岳とはちょっと違うけれど、道的には結局山であることに間違いはない。途中から一気にヒルクライムモード。
その前にヒライへ。熊本に来たからには!
RIDE AID IN ASOの時に牧瀬さんに連れてこられたお店で、一回切りだけどとても印象に残っていた。
ちくわサラダである。これが忘れられなかったから、どうしてももう一度食べたかった。
クセになる!美味しい!
熊本に訪れた際にはぜひヒライのちくわサラダをご賞味あれ。
ちなみにその時の阿蘇旅の様子は、めちゃくちゃ濃かったのでぜひこちらもご覧ください。
道中、かつての阿蘇大橋を見た。
かつて、というのは2016年4月16日未明に発生した熊本地震で崩落したから。
調査では地震の前後で橋脚を支える地盤の位置が右岸側は約2 m、左岸側は44 cm、橋を圧縮する形でずれていたことが分かったらしい。
今年、2021年にようやく場所を変えて建設された新しい「新阿蘇大橋」が完成した。そして崩落した橋はケーブルで固定されて震災遺構として残されることが決定した、ということをここに来て初めて知った。
RIDE AID IN ASOの時は反対側からこの橋を眺めた。
少しずつだけれど確実に復興している熊本県、その成果をこうして目の当たりにするというのはなんとも感慨深いものがあった。
昨日と同じように夕暮れ道をお宿までひた走る。
この日は晩ご飯付きにしていたから、補給もそこそこにいっぱいまで走りきった。
ペンションが集まる内牧地区のペンションロワさんにお世話になることに。
ここがまぁ素晴らしい料理を出してくれるお宿で、オーナーシェフによるなんとフルコースをいただいてしまった。どう見ても自転車旅の途中で食べるタイプのご飯じゃなかったけれど、そんなことを気にしていてはもったいないくらいには、絶品でした。ごちそうさまでした。
お風呂と洗濯も済ませた。
今日も濃い1日だった。
朝には佐賀県にいたのに、今こうして熊本県の阿蘇にいる。
輪行やフェリーを駆使して移動する自転車の機動性の高さを改めて実感した。
そんなことを考えながら
布団に入ると一瞬で眠りについた。
続く。
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