【天草島原ツーリング】海とそうめんとヒルクライム【苓北〜島原】
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知らない天井だ。
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蝉の声で目が覚めた。窓のすき間から光が漏れている。どことなく海の香りがする・・・・
しばらく経ってからああ、いまは旅をしていていまは苓北の町にある海沿いの民宿にいることを思い出す。そう、旅をしていると思うと血圧が上がってきた。今日は何が起こるんだろう。
2日目、スタート!!
10年後の自分が読んだときに思い出せるように書いておく。
今年の夏は猛暑だった。ただの猛暑じゃない。災害レベルの猛暑。
各地でそれまでの最高気温を更新し、40度を超える場所が出たと連日ニュースになっていた。
朝も夜も涼しさは皆無。毎日のように熱中症患者が病院に運ばれ、SNSでは熱中症対策ネタが飛び交っていた。
そんな夏だ。この日も例外ではなかった。水代だけで2千円近い。
朝ごはんまで時間があったから少しあたりを散歩することにした。
時刻は6:00。
もうすっかり明るい。季節は夏。7月半ば。
昨夜よりもずいぶん大人しくなった海を眺める。朝凪だろうか。
民宿に戻って朝ごはんをいただいて出発準備を済ませる。
女将さんが今日も暑くなるからとボトルに氷と水を入れてくれた。ありがたい!
朝ごはんもご飯と味噌汁をお代わりしてエネルギーは充填満タン。昨日も相当消耗していたはずだからいつもよりも多め多めに食べた。
何をするにしてもとにかく食事は大事。身体は全て口から入れたもので出来ている。
さあさあ、まずは富岡城址に向かいましょう!
と言っても距離は近く2kmほど。
朝早い時間に知らない町をゆっくりと走る時間が大好きだ。日常のルーチンから解放され、ひたすら自由な感じがする。町の人達からは珍しい目で見られ、ああ、遠いところまで来たなあと思う。特にこの苓北町は自転車旅で訪れる人が珍しいのかもしれない。私もたまたまここだったというだけで、そうじゃなかったら通り過ぎるか観光をして終わりだったと思う。全国にそう言った土地が無数に存在する。
富岡城址は町を見下ろすように高台の上に建てられている。
地形的にずいぶんと攻めにくいだろうなあ・・・というのが見てわかる。
そもそもここ苓北町が富岡半島の先端、砂州で繋がった土地。城の南には大きな池があり堀の役割を果たしている。城の東は海、さらに海からはとてもじゃないけれど上がることができない角度の土塁。
歴史的に見れば関ヶ原の戦い後、東軍(勝利した側)の寺沢広高が恩賞として与えられた石高を元にこの地を治めるために作られた城。今日、この後訪れる島原、さらに昨日訪れた天草、崎津界隈は全て歴史的に深く繋がっている。あの有名な「天草島原一揆」という観点から見るとここは一揆軍に攻められる側。つまり防御陣。そういう意味では一揆軍からすれば相当手を焼いたのではないだろうか、と想像できる。
その立地からかとても見晴らしが良い!
城内はぐるぐると散策できるようになっていて、海と町を眺めることができる絶好の展望台にもなっていた。
お城へと続く道には稲荷の神社も。稲荷の神にはお祈りせずにはいられない私である。(守護神に稲荷の神がついているとおじいちゃんに教えられたことがある)
さて、朝一のイベントはこれくらいにして旅を進める時間。
メリハリ大事。
この半島を後にして再び島の外周を反時計回りに走る。時計でいうと今いるのは11時あたり。そして次の目的地である鬼池港は12時半あたり。距離でいうと20km程度だけどフェリーの時間があるからあまりゆっくりもしていられない。
国道324号線を東進東進!海沿いをひたすら走る。いい景色。いい風。シンプルに、気持ち良い。
ただフォロワーさんから「苓北から鬼池までの間に「おっぱい岩」がありますよ」
と聞いていたから私の意識の98%くらいはおっぱいに夢中だった。
いったいどこにあるんだおっぱい岩。
看板らしい看板も見えてこないうちに想定していた界隈に突入した。
ここまでくると意識の99%はおっぱいに持っていかれる。見逃すまい。
国道から左手に見える小さな港の端っこに小さな文字で「ソレ」の案内が書かれていることを私は見逃さなかった。集中していたかいがあった!!!
咄嗟に歩道に入り港の入り口まで引き返す。ついに巡り会えた・・・・・
キタキタキタキタ
えっ
/(^o^)\ナンテコッタイ
こんなん調べて来いひんやん普通。
写真だけ楽しんできました。生で見たかったナア・・・・・
鬼池港までのことはあまり覚えていない。
悲しみを胸に抱きながらただただペダルを漕ぐマシンと化した。
悲劇は続くものでフェリーの時間が事前に調べていたものと違っていた。どうやらドッグ期間中は臨時時刻表になるということで、おかげで1時間40分も待たされることになってしまった。こんなことならもっとゆっくり富岡城を堪能したかったと思う反面、正直この暑さで少し体力を消耗していたからゆっくり休むのにちょうどいい・・・・・。フェリーの時間も30分かかることを考えると2時間10分も身体を休ませることができる。
海沿いに設置された東屋のベンチに横になって目を閉じる。仮眠。オフ。
汽笛の音で目が覚める。
島原行きのフェリーが来た。
瀬戸内海に住むようになってから船に対する抵抗というかハードルが思いっきり下がってしまった。
電車やバスのように当然そこにあるものとして享受している。
ただ、だけど、やっぱりテンションが上がる。
車両甲板に乗り入れる瞬間だったり、客室に上がる急な階段だったり、誘導員さんが車をパズルのようにみっちりと甲板に並べて行く様だったり、そういうものになぜか心惹かれる。
フェリー甲板では四国からツーリングに来ていたバイク乗りの人と旅話に花が咲いた。
旅の話をしていたら30分なんて一瞬で過ぎる。
今まで良かった場所、これから行ってみたい場所、旅の苦労話、最新の道路情報、装備の話などなど・・・・
お互いの情報を交換して別れた。
私はここで
1 原城に立ち寄る
2 そうめんを食べる
ことを決定した。
バイク乗りの人はカスドースを食べることと、川内峠に行くことを決めたらしい。
島原、つまり長崎県に上陸!
久しぶりの長崎だ。九州の中でも特に好きなところがここ長崎。なんだろうね・・・何処と無く漂う異国間とどこか懐かしい雰囲気のする町だったり、あとは人が穏やか。旅をしていて触れ合う町の人たちがなんだか穏やかで好き。長崎。NAGASAKI。響きもいい。
原城というのは国道251号線、通称島原街道を走っていたら分かるよーとのこと。予定通りの道だったので、特に何も考えずに走る。相変わらず海沿いの道。うん、今回の旅は考えてみれば本当にひたすら島の海沿いをなぞる旅。それができるのがここ天草〜島原の良いところだ。もしかすると全国屈指かもしれない。瀬戸内海も確かにこういう地形は多いけれど、一つ一つの島のサイズを考えると少し性格が違う。
程なくして原城の看板が見つかった。
私はここで予想外の光景を目にした。
何も・・・・ない・・・・。
城址といってももう少し何かあるだろう・・・・!と思っていたのに完全にただの原っぱ。
私はこの光景を見て真っ先に松尾芭蕉のあの有名な歌が浮かんだ。
夏草や 兵どもが 夢の跡
この句が詠まれたのは平泉だけれど、この目の前の景色を表現するのにこれ以上の句はないだろう、と感じた。たまらなく、いい場所だと思った。
ちなみに朝に訪れた富岡城への攻撃に失敗した一揆軍はここ原城まで引き返し本隊と合流して体勢を立て直すも、幕府軍による容赦のない攻撃により殲滅される。今私がロードバイクで走っているこの場所で幾人もの人が死んでいる。その数3万7千人。女子供も全て殺害された。ただ一人、山田右衛門作、生き証人を除いて。
ちなみにここから帰るときに車が側溝に車輪を落としていた。アクセスは簡単だけど道が狭いので気をつけて。さらに言うなら「この先迂回してね」って言う警察官の言葉が思いっきり熊本弁で3回も聞き返してしまった。あれだけ見事な熊本弁を聞いたのは初めてかもしれない。ラッキー。
次のミッションはそうめん!
島原素麺と言えば島原素麺なのだ。有名らしい。勉強不足なもので知らなかった。そのルーツは諸説あるらしい。福建省伝来説だったり小豆島伝来説だったり。
国道沿いにある「麺商須川 面喰い」というところでいただくことに。バイクライダーの人にオススメしてもらったお店だ。
イカ墨明太素麺
これがもうなんかめっちゃ美味しくてビックリした。一口食べた瞬間になくなった。いやまじです。
あまりに美味しいからあろうことかもう一品注文する私。
そして注文を待っている間になぜか女将さんからトウモロコシをいただく私。
採れたてらしく、甘くておいしー!
旅の話を聞かせてくれたお礼だよという。後から来たサラリーマンにもあげていた。
素麺ちゃんぽん!
名前の通りちゃんぽんの素麺版。素麺はもちろんだけど上に乗った野菜炒めがシャキシャキしていて美味しい!
灼熱の中走っていたしこれからも走るのでエネルギーはしっかりと摂らないとね。
普段は少食の私だけれど、食べるときは人より食べる私です。
うん、素麺、これは食べるべき!ありがとう四国のライダーさん。カスドースも食べてね。
さて、二杯目を注文するときに心に決めたのが雲仙岳ヒルクライム。
ここでこれだけエネルギーを摂取することに成功したからには、いけるだろう。
実はこの時までプランを3つ考えていた。
1 島原観光してフェリーで熊本に渡って新幹線で帰る
2 長崎に向かって長崎観光して特急+新幹線で帰る
3 雲仙岳ヒルクライムしてみる
1、2は私からすると無難。普通に面白いし楽しいと思う。というかこっちでも良かったかもしれないって思う。
けど!!!
昨日からね、チラチラ見えてるんですよ。雲仙岳が。三角からも見えていたし、フェリーに乗るときにも見えていたし、あんなに立派な山があったら登りたくなるのが人ってもんです。
というわけでヒルクライム開始。県道132号線を北上し、国道57号線に合流。最後は仁田峠へ向かう一方通行ループラインに入る。
海抜0mから標高1,100mまでの純粋なヒルクライム。
斜度も距離も普段の私だったらこなせるはずだったけれど、この時ばかりは暑さと付き合わないければならなかった。ヒートアップしないように抑えて抑えて登らないとすぐにダウンしてしまう。かといって遅すぎても熱に身体を晒す時間が増えるだけ。このバランスが難しい。結局水を被りながら、途中の展望台で水を補給しながら、登り続けるしかない。頭がクラクラする。沸騰寸前だ。
仁田峠までの道はゲート管理されていて、反対側の出口まで一方通行になっている。
これはいい!
走ってみるとわかる。対向車が〝絶対に〟来ないと分かっているだけでこれだけ安心できるのか、と。
いくら交通量の少ない道でも対向車が来る確率はゼロじゃない。ゼロじゃない限り、かもしれない運転をするのは、乗り物を乗る人なら当然のことだ。それが今回限りはゼロ・・・・っ!圧倒的安心感・・・・っっ!
最後の200mはドチャクソしんどかった。
しかも
ガスってるううううううううううううううう
なんてことだ。こんなことって・・・・・。
でも山の天気は変わりやすい。だからすぐ晴れることもあるだろう。
そう信じて先に進むと
ガスが徐々に晴れてきて・・・・
どん!!!!!
晴れ間きたああああああああああああああああああああ!!!
「平成最後の年に平成に出来た日本で最も新しい山である平成新山を自転車で見にいく」
という旅の話ネタとしてささやかに活躍しそうな勲章をゲットしたところで私の旅は終わった。
この後のことを書くとしたらダウンヒルがめちゃくちゃまっすぐな道でかつ登り返しのない斜度5〜8%だったおかげでとんでもない速度が出たことと、諫早駅までの35kmTTは今年最高に暑かったことくらいだろうか。諫早駅は絶賛工事中で入り口がどこなのかよく分からなかった。暑さのせいかそれだけでイライラしてしまいそうだったからコンビニで1リットルのお茶を買ってちびちび飲みきったらすっかり元気になった。人間、水分が枯渇すると正常でいられなくなるらしい。
諫早駅から特急列車に乗り新鳥栖駅で新幹線に乗り換えて帰宅した。
あれ以上走っていたら熱中症患者の仲間入りをしていたと思う。
天草〜島原ツーリング。キリシタン文化と戦国時代以降の歴史と海と島と山と食。
ツーリングするにはネタの宝庫といっても過言ではない。
他にも温泉や観光施設、史跡名所、牧場などなど・・・・本当はもっと行きたい場所があった。
それはまた次のいつかで!
終わり。
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