【欧州旅】3日目 その芸術の都は・・・・ 【ヴェネチア〜ミラノ】
写真, 聖地巡礼, カメラ, ヨーロッパ, 海外,
ようやく外国の空気に慣れてきたのだと思う。
日本とは明らかに違う、皮膚をこするようなパリッとした空気。
窓から見る街並みは小さい頃に見た映画のワンシーンを思い出す。
確か家族を亡くした画家が途方に暮れて故郷を捨てて旅をしながら絵を描いて日銭を稼ぐ、そんな映画だ。
何もかも無くして旅をする、一体どんな風なんだろう。
想像に難い。
が、少なくとも旅をしているという点では、似たような境遇だ。
知らない天井だ。
日本とは明らかに違う、皮膚をこするようなパリッとした空気。
窓から見る街並みは小さい頃に見た映画のワンシーンを思い出す。
確か家族を亡くした画家が途方に暮れて故郷を捨てて旅をしながら絵を描いて日銭を稼ぐ、そんな映画だ。
何もかも無くして旅をする、一体どんな風なんだろう。
想像に難い。
が、少なくとも旅をしているという点では、似たような境遇だ。
知らない天井だ。
いよいよヴェネチアから離れる日が来た。
正直に言うともっとこの町に滞在したい。もっとこの町の景色を、生活を、海の蒼に浸かっていたい。
けれどそれもいいけれど、せっかくはるばる欧州まで来たのだから、もっといろんな景色を見てみたいというのも
本心だった。
「旅はまた来たいと思えるくらいがちょうどいい。」
いつものようにそう言い聞かせて、次の目的地を見据える。
旅をするといつもこうなのだから成長していないなあと思う。
だからもしかしたらそれがやっぱり正解なのかな、とも。
顔を洗って焼きたてのパンと、昨夜スーパーで買った果物を食べる。
ヴァポレットの時間はトラブルを想定して2本早めだ。
慌てることなく、チェックアウトを済ませる。
2泊分の宿泊税を支払う。これは正規の宿泊料金とは別にかかるものだ、というのをガイドブックで予習していた。
土曜日ということもあって、街は閑散としていた。
昨日の朝とは違う。
どの世界も休日の朝は静かなんだなあと、なんとなく感心した。
ヴァポレット乗り場に着いたのは出航時間の5分前。
時刻表を確認しようと看板に近づくと、地元のお母さんっぽい人に声をかけられる。

「あなた、今からどこへ行くの?」
「えーと、駅です。サンタルチアステーション。」
「ならこの次の31番線に乗るのよ。パスは持ってるわね?あそこの入り口から入るの。だいたい30分もあれば着くわ」
と、昨夜私がホテルで調べたすべての情報を一瞬で教えてくれた。(゚´^ω^`゚)。゚
親切なおもてなしに感謝するしかない。
こういう風に異国の地で親切にされると本当に心にしみる。
もちろん日本でもこのような親切にはたくさん触れることができるけれど異国の地では自分は余所者であり、お邪魔している気持ちになってしまうから何か施しを受けたり親切にされるとどうしたって歓迎されているような、ホスピタリティなようなものを感じてグッとくる。
そして思う、日本においても、外国人には親切にしてあげよう、と。
きっと何か困っていることがあるはずだ。なかったらそれはそれでいい。
それでその人の旅が少しでもいいものになれば、何だか嬉しい。
船の上から改めてヴェネチアを眺める。
本当に、本当に素晴らしいところだった。
こうして今キーボードを叩いている今でもはっきりとその情景を思い出すことができる。
それくらい目に焼き付けてきた。
帰国してからしばらくは何度も夢にあの狭い路地と水路が浮かんできた。
ここまで印象に残る場所は他にはないと、断言できる。

今日も良い空、海。それだけで気持ち良い。

サン・マルコ広場も見納め。休日ということもあって、すでにすごい人ごみが見える。

ヴェネチア散歩。素敵でした。
次に来るのは一体いつだろうか。
死ぬまでに必ずもう一度来よう。
サンタルチア駅に到着したのは8時頃。

これは改札?いいえ、トイレです。
利用料は1.5ユーロ。
ちなみに駅自体には改札なし。

基本的に欧州主要駅はどこもこんな風に電光掲示板があってこれで乗りたい列車を探すことができる。
時間は意外と正確だった。
列車の発車時刻まで40分近くあったから、駅併設のカフェでコーヒーをいただく。
最初料金システムがわからなくて「???」ってなったけれど、店員さんに聞いて解決。
中央のレジでお会計を済ませて、レシートを持ってカフェエリアに行くと、その商品を出してくれるとのこと。
というわけでレジに行くはいいものの、メニューらしきものがどこにもない。
とりあえず店員さんにカフェオレワン、と伝えるとお会計をしてくれた。
2ユーロだった。
結局メニューがどこにあるのか分からないまま終わってしまった。
いくらかかるか分からないのは不安な感じだけれど、安かったからまあよし。(アバウト)

ひっきりなしにお客さんがやってくる。引っ掛けてすぐに出て行く。
カフェから出ると列車がホームに到着していたので乗り込む。

ミラノ行き。

こうしてみると新幹線と変わらない。
日本で予約していたので、座席指定も済み。
今回乗車するフレッチェビアンカは座席指定が必須な列車。
中には自由席しかない列車もある。そのあたりは要予習。
そして発車時刻。
さらば、サンタルチア駅。さらばヴェネチア。
もう何も惜しむまい!
気持ちはもう次の目的地、北イタリア一の都市、ミラノに向いていた。
ミラノまではおおよそ2時間半。
少し仮眠をとったり、地図を読んだり、車窓からの景色を楽しんだり。
そういう風に、ゆっくりと、いろんなことができるというのは、列車のいいところだなと気づかされる。
すべての乗り物にはそれぞれの良さがある。
ミラノにはお昼前に到着。
さすがイタリア有数の駅なだけあって、ホームに降り立った瞬間、天井の広さと奥行き感に圧倒される。


なぜかここでようやく「ああ、欧州に来たのだなあ」と、実感した。
もうとっくに来ているというのに。
やはりヴェネチアは別枠かしらね。
さて、ミラノといえば他でもない、イタリア屈指の芸術の都だ。
その歴史を紐解くためには図書館に数日は篭る必要があるかもしれない。
活気に満ちた現代都市の体裁を醸し出しつつも
街のいたるところに歴史的な建造物が建ち並び、文化的都市としての成熟度が高い。
由緒ある建造物、広場、通りを巡っているだけで時間が過ぎていくような場所。
私のおめあては二つ。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とミラノが誇る大聖堂ドゥオーモ。
どちらも事前に場所は調べていたから、あとは行動するのみ。


ひとまず駅の近くに予約していたチェックインして先に荷物を預けられるか聞いてみると
快諾してくれた上に、受付の人に「ミラノは初めてかな?」と聞かれたのでそうですと答えると
ミラノの見所を丁寧に教えてくれて最後に地図とお菓子を渡してくれた。
ありがたい。


グラツィエ教会までは地下鉄で移動することに。
ミラノの移動手段といえば地下鉄かバス、トラムだ。

切符も様々あるけれど、3回以上利用するなら1日パス券を買うのがお得だと思う。
切符を買う手間が省けるし、イタリアでは財布を出す回数を減らすことはリスクヘッジの観点でとても重要だ。
特に地下鉄や主要駅、観光地では気をつけなければならない。
たまーに日本人を見るけれど確かに無防備さが目立つ気がする。
私は基本的に貴重品はすべて内ポケットに入れていたから特に警戒はしていなかったけれど。
何も持たないのが一番。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(イタリア語: Chiesa di Santa Maria delle Grazie)は、イタリア・ミラノにあるカトリック教会の聖堂である。レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐は、敷地内の修道院にある食堂の壁画であり、ユネスコの世界遺産(レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院)に登録されている。
1296年、アルノルフォ・デ・カンピオの設計により大聖堂を取り壊して着工し、ジョット、フランチェスコ・タランティらが造営主任をつとめる。以降、ミラノ公フランチェスコ・スフォルツァがドミニコ修道院と教会の建設を指示し、建築家ソラーリによって長い年月をかけ1469年に完成した。教会のアプスは1492年以降、ドナト・ブラマンテにより改築されたものとされる(明白な証拠はない、という指摘もある)。当時ブラマンテはミラノに居住しており、教会の歴史書のなかにも一度登場している。
レオナルドと8歳年上のブラマンテは同時期にミラノに滞在していた。レオナルドの手記にも理想の教会堂のスケッチが残されており、両者の交流があったことが考えられる。
教会は第二次世界大戦中に連合軍の空襲を受け、大きな被害を受けた。『最後の晩餐』の前には土嚢が積み上げてあったため、かろうじて被害を免れたという。
さて、教会そのものにも興味はあったけど、一番の目的はその中に保管されている絵だ。
絵画の中ではもう世界一、超弩級の知名度を誇るあの名画中の名画「最後の晩餐」がここ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にある。
一度もここを出たことがない。ミラノが誇る秘宝。
ちなみに閲覧するためには予約が必須で、これは日本からでも予約することができる。
私は国際電話で直接予約した。
また絵画が痛まないように、一回あたりの閲覧時間はきっちり15分と定められている。
教会についたのは予約時間の30分前。
受付で名前と予約番号を告げて入場券を受け取る。
いよいよ閲覧の時間。
15分しかない。しっかりと目に焼き付けなければ。
そして終了。
建物を出る。
心拍数が上がっていた。
ただの絵ではない。
あれは人間の強い強い意志だ。
絵を描こうと思って描いたものではない。
「この中に裏切り者がいる。」
そうはっきり聞こえてきた。
ユダはどんな心境だったんだろう、というのも見れば分かった。
百聞は一見に如かず、をこのように体感したのは初めてだった。
レオナルド・ダ・ヴィンチという天才が天才と呼ばれる所以がそこにあった。
ちなみに大きさも圧巻で、なんとなんと420 x 910 cm。
それを結構な近さから、しかもガラスやアクリル板なしの生で見ることができる。
これだけでもミラノに来てよかった、と思えた。
それくらいのインパクトがあったんだ。
時刻は14時頃。
少し頭がふわふわした状態だけれど、とりあえずそう遠くないドゥオーモ広場に向かうことにした。
地下鉄で移動し、広場近くのトラットリアでランチをいただくことに。
ミラノ名物セット、とかいう明らかに観光客向けのメニューがあったので頼むことに。
けれど周りのイタリア人もそれを食べていたので、本当にこっちではよく食べられているのかもしれない。



ミラノ風カツレツ!
ミラノ風リゾット!
ティラミス!
「・・・黄色い・・・・」
というのが第一印象。
色彩がないよ・・・!緑がないよ・・・・!
うーん、イタリアクオリティ。
でもでも味はマル。
まあリゾットとカツレツはめちゃくちゃ美味しい!って訳じゃないけれど
日本ではなかなか無いビビッドな味付けだったし
ティラミスに至っては日本のティラミスは完全に日本風なんだな、と痛感した。
こういうカルチャーショックは大事。
お腹を満たしたあとは、本日二品目のメインディッシュ、ドゥオーモ大聖堂へ。

日曜日で人で溢れているラルガ通りを抜けると、もう見間違えようが無い、あれだ。

なんという存在感だろう。
近くで見る。


とんでも無い。
なんなんだミラノ。レベル高すぎるでしょ・・・・。
この大聖堂ドゥオーモは1386年にジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの意向により着工し、約500年の時を経てナポレオンの命により完成しました。その壮大な建築は全長158m、幅93m、高さが108mで内部の面積が1万1700平方メートル。世界最大級のゴシック建築として知られています。135本の尖塔、2245体の彫刻との融合美はまさに圧巻の一言です。
スペインでは有名な建築家「ガウディ」がサクラダ・ファミリアを設計し、未だに建築中であることで有名ですが、500年という建築期間というものはカソリック大国のイタリアだからできたと言えるでしょう。このドゥオーモのどっしりとしたゴシック建築はイタリアでもっともゴシックらしいゴシック建築であり、そのオリジナリティ溢れるデザインは独特の美しい姿をしています。
(アーモイタリア、旅行ガイドより http://www.amoitalia.com/milano/duomo.html)
圧巻。
その細工の細かさやたるや、いったいどれだけの歳月、手間がかけられたのだろうかと思わずにはいられない。




扉一つでこの造形・・・・・これだけでもうものすごい。いつまでも眺めていられる。
それが、もう建物全体の外壁なのだから、ここまでくると畏怖を感じる。
2ユーロ払うと中に入れるということなので、迷わずチケットを購入。
(併設されているトイレも2ユーロだったし、価格設定がよくわからないと思ったのはここだけの話)

ドラクエかな??

もう完全に「おお勇者よよくぞ帰ってきた」状態。


いやねえ、もうねえ、ボキャブラリーが足りません。
口開きっぱなしでした。すみません。
あと帽子脱ぎ忘れてたのは普通にすみません。脱帽しないとですよね、神様の前だもの。
まあこの建物、端的に言うと
「マリア様のために作ってみた」
だから、もうぶっ飛んでるなあ、と。
兎にも角にも、これはもう一見の価値ありと断言しておこう。
あとはショッピングをしたり面白そうなお土産を見て回ったり
街を散策してこの日は終わり。







この路面だとロードバイクはそりゃあ厳しいよねえ。

ラウンドアバウトは慣れないと横断のタイミングが掴みにくい。
あまりに衝撃的な芸術を目の当たりにして脳が疲れてしまった。
欧州に来てからというもの、毎日刺激的なことばかりだ。
知らない世界が世界にはまだまだたくさんある。
特に欧州のこの歴史を感じさせる街並みと建造物には驚かされてばかり。
日本は地震大国だから・・・・と言ってしまえばそれまでだけど
それにしてもレベルが違うな、と。
きっと宗教的背景も大いに関わっているのだと、思う。
起源だったり発展過程について調べてみるのも面白いかもしれない。
こんな世界があることを知れたというのはとても尊いな、と思いつつ
この日のベッドに沈んだ。
写真,
聖地巡礼,
カメラ,
ヨーロッパ,
海外,
正直に言うともっとこの町に滞在したい。もっとこの町の景色を、生活を、海の蒼に浸かっていたい。
けれどそれもいいけれど、せっかくはるばる欧州まで来たのだから、もっといろんな景色を見てみたいというのも
本心だった。
「旅はまた来たいと思えるくらいがちょうどいい。」
いつものようにそう言い聞かせて、次の目的地を見据える。
旅をするといつもこうなのだから成長していないなあと思う。
だからもしかしたらそれがやっぱり正解なのかな、とも。
顔を洗って焼きたてのパンと、昨夜スーパーで買った果物を食べる。
ヴァポレットの時間はトラブルを想定して2本早めだ。
慌てることなく、チェックアウトを済ませる。
2泊分の宿泊税を支払う。これは正規の宿泊料金とは別にかかるものだ、というのをガイドブックで予習していた。
土曜日ということもあって、街は閑散としていた。
昨日の朝とは違う。
どの世界も休日の朝は静かなんだなあと、なんとなく感心した。
ヴァポレット乗り場に着いたのは出航時間の5分前。
時刻表を確認しようと看板に近づくと、地元のお母さんっぽい人に声をかけられる。

「あなた、今からどこへ行くの?」
「えーと、駅です。サンタルチアステーション。」
「ならこの次の31番線に乗るのよ。パスは持ってるわね?あそこの入り口から入るの。だいたい30分もあれば着くわ」
と、昨夜私がホテルで調べたすべての情報を一瞬で教えてくれた。(゚´^ω^`゚)。゚
親切なおもてなしに感謝するしかない。
こういう風に異国の地で親切にされると本当に心にしみる。
もちろん日本でもこのような親切にはたくさん触れることができるけれど異国の地では自分は余所者であり、お邪魔している気持ちになってしまうから何か施しを受けたり親切にされるとどうしたって歓迎されているような、ホスピタリティなようなものを感じてグッとくる。
そして思う、日本においても、外国人には親切にしてあげよう、と。
きっと何か困っていることがあるはずだ。なかったらそれはそれでいい。
それでその人の旅が少しでもいいものになれば、何だか嬉しい。
船の上から改めてヴェネチアを眺める。
本当に、本当に素晴らしいところだった。
こうして今キーボードを叩いている今でもはっきりとその情景を思い出すことができる。
それくらい目に焼き付けてきた。
帰国してからしばらくは何度も夢にあの狭い路地と水路が浮かんできた。
ここまで印象に残る場所は他にはないと、断言できる。

今日も良い空、海。それだけで気持ち良い。

サン・マルコ広場も見納め。休日ということもあって、すでにすごい人ごみが見える。

ヴェネチア散歩。素敵でした。
次に来るのは一体いつだろうか。
死ぬまでに必ずもう一度来よう。
サンタルチア駅に到着したのは8時頃。

これは改札?いいえ、トイレです。
利用料は1.5ユーロ。
ちなみに駅自体には改札なし。

基本的に欧州主要駅はどこもこんな風に電光掲示板があってこれで乗りたい列車を探すことができる。
時間は意外と正確だった。
列車の発車時刻まで40分近くあったから、駅併設のカフェでコーヒーをいただく。
最初料金システムがわからなくて「???」ってなったけれど、店員さんに聞いて解決。
中央のレジでお会計を済ませて、レシートを持ってカフェエリアに行くと、その商品を出してくれるとのこと。
というわけでレジに行くはいいものの、メニューらしきものがどこにもない。
とりあえず店員さんにカフェオレワン、と伝えるとお会計をしてくれた。
2ユーロだった。
結局メニューがどこにあるのか分からないまま終わってしまった。
いくらかかるか分からないのは不安な感じだけれど、安かったからまあよし。(アバウト)

ひっきりなしにお客さんがやってくる。引っ掛けてすぐに出て行く。
カフェから出ると列車がホームに到着していたので乗り込む。

ミラノ行き。

こうしてみると新幹線と変わらない。
日本で予約していたので、座席指定も済み。
今回乗車するフレッチェビアンカは座席指定が必須な列車。
中には自由席しかない列車もある。そのあたりは要予習。
そして発車時刻。
さらば、サンタルチア駅。さらばヴェネチア。
もう何も惜しむまい!
気持ちはもう次の目的地、北イタリア一の都市、ミラノに向いていた。
ミラノまではおおよそ2時間半。
少し仮眠をとったり、地図を読んだり、車窓からの景色を楽しんだり。
そういう風に、ゆっくりと、いろんなことができるというのは、列車のいいところだなと気づかされる。
すべての乗り物にはそれぞれの良さがある。
ミラノにはお昼前に到着。
さすがイタリア有数の駅なだけあって、ホームに降り立った瞬間、天井の広さと奥行き感に圧倒される。


なぜかここでようやく「ああ、欧州に来たのだなあ」と、実感した。
もうとっくに来ているというのに。
やはりヴェネチアは別枠かしらね。
さて、ミラノといえば他でもない、イタリア屈指の芸術の都だ。
その歴史を紐解くためには図書館に数日は篭る必要があるかもしれない。
活気に満ちた現代都市の体裁を醸し出しつつも
街のいたるところに歴史的な建造物が建ち並び、文化的都市としての成熟度が高い。
由緒ある建造物、広場、通りを巡っているだけで時間が過ぎていくような場所。
私のおめあては二つ。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とミラノが誇る大聖堂ドゥオーモ。
どちらも事前に場所は調べていたから、あとは行動するのみ。


ひとまず駅の近くに予約していたチェックインして先に荷物を預けられるか聞いてみると
快諾してくれた上に、受付の人に「ミラノは初めてかな?」と聞かれたのでそうですと答えると
ミラノの見所を丁寧に教えてくれて最後に地図とお菓子を渡してくれた。
ありがたい。


グラツィエ教会までは地下鉄で移動することに。
ミラノの移動手段といえば地下鉄かバス、トラムだ。

切符も様々あるけれど、3回以上利用するなら1日パス券を買うのがお得だと思う。
切符を買う手間が省けるし、イタリアでは財布を出す回数を減らすことはリスクヘッジの観点でとても重要だ。
特に地下鉄や主要駅、観光地では気をつけなければならない。
たまーに日本人を見るけれど確かに無防備さが目立つ気がする。
私は基本的に貴重品はすべて内ポケットに入れていたから特に警戒はしていなかったけれど。
何も持たないのが一番。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(イタリア語: Chiesa di Santa Maria delle Grazie)は、イタリア・ミラノにあるカトリック教会の聖堂である。レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐は、敷地内の修道院にある食堂の壁画であり、ユネスコの世界遺産(レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院)に登録されている。
1296年、アルノルフォ・デ・カンピオの設計により大聖堂を取り壊して着工し、ジョット、フランチェスコ・タランティらが造営主任をつとめる。以降、ミラノ公フランチェスコ・スフォルツァがドミニコ修道院と教会の建設を指示し、建築家ソラーリによって長い年月をかけ1469年に完成した。教会のアプスは1492年以降、ドナト・ブラマンテにより改築されたものとされる(明白な証拠はない、という指摘もある)。当時ブラマンテはミラノに居住しており、教会の歴史書のなかにも一度登場している。
レオナルドと8歳年上のブラマンテは同時期にミラノに滞在していた。レオナルドの手記にも理想の教会堂のスケッチが残されており、両者の交流があったことが考えられる。
教会は第二次世界大戦中に連合軍の空襲を受け、大きな被害を受けた。『最後の晩餐』の前には土嚢が積み上げてあったため、かろうじて被害を免れたという。
さて、教会そのものにも興味はあったけど、一番の目的はその中に保管されている絵だ。
絵画の中ではもう世界一、超弩級の知名度を誇るあの名画中の名画「最後の晩餐」がここ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にある。
一度もここを出たことがない。ミラノが誇る秘宝。
ちなみに閲覧するためには予約が必須で、これは日本からでも予約することができる。
私は国際電話で直接予約した。
また絵画が痛まないように、一回あたりの閲覧時間はきっちり15分と定められている。
教会についたのは予約時間の30分前。
受付で名前と予約番号を告げて入場券を受け取る。
いよいよ閲覧の時間。
15分しかない。しっかりと目に焼き付けなければ。
そして終了。
建物を出る。
心拍数が上がっていた。
ただの絵ではない。
あれは人間の強い強い意志だ。
絵を描こうと思って描いたものではない。
「この中に裏切り者がいる。」
そうはっきり聞こえてきた。
ユダはどんな心境だったんだろう、というのも見れば分かった。
百聞は一見に如かず、をこのように体感したのは初めてだった。
レオナルド・ダ・ヴィンチという天才が天才と呼ばれる所以がそこにあった。
ちなみに大きさも圧巻で、なんとなんと420 x 910 cm。
それを結構な近さから、しかもガラスやアクリル板なしの生で見ることができる。
これだけでもミラノに来てよかった、と思えた。
それくらいのインパクトがあったんだ。
時刻は14時頃。
少し頭がふわふわした状態だけれど、とりあえずそう遠くないドゥオーモ広場に向かうことにした。
地下鉄で移動し、広場近くのトラットリアでランチをいただくことに。
ミラノ名物セット、とかいう明らかに観光客向けのメニューがあったので頼むことに。
けれど周りのイタリア人もそれを食べていたので、本当にこっちではよく食べられているのかもしれない。



ミラノ風カツレツ!
ミラノ風リゾット!
ティラミス!
「・・・黄色い・・・・」
というのが第一印象。
色彩がないよ・・・!緑がないよ・・・・!
うーん、イタリアクオリティ。
でもでも味はマル。
まあリゾットとカツレツはめちゃくちゃ美味しい!って訳じゃないけれど
日本ではなかなか無いビビッドな味付けだったし
ティラミスに至っては日本のティラミスは完全に日本風なんだな、と痛感した。
こういうカルチャーショックは大事。
お腹を満たしたあとは、本日二品目のメインディッシュ、ドゥオーモ大聖堂へ。

日曜日で人で溢れているラルガ通りを抜けると、もう見間違えようが無い、あれだ。

なんという存在感だろう。
近くで見る。


とんでも無い。
なんなんだミラノ。レベル高すぎるでしょ・・・・。
この大聖堂ドゥオーモは1386年にジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの意向により着工し、約500年の時を経てナポレオンの命により完成しました。その壮大な建築は全長158m、幅93m、高さが108mで内部の面積が1万1700平方メートル。世界最大級のゴシック建築として知られています。135本の尖塔、2245体の彫刻との融合美はまさに圧巻の一言です。
スペインでは有名な建築家「ガウディ」がサクラダ・ファミリアを設計し、未だに建築中であることで有名ですが、500年という建築期間というものはカソリック大国のイタリアだからできたと言えるでしょう。このドゥオーモのどっしりとしたゴシック建築はイタリアでもっともゴシックらしいゴシック建築であり、そのオリジナリティ溢れるデザインは独特の美しい姿をしています。
(アーモイタリア、旅行ガイドより http://www.amoitalia.com/milano/duomo.html)
圧巻。
その細工の細かさやたるや、いったいどれだけの歳月、手間がかけられたのだろうかと思わずにはいられない。




扉一つでこの造形・・・・・これだけでもうものすごい。いつまでも眺めていられる。
それが、もう建物全体の外壁なのだから、ここまでくると畏怖を感じる。
2ユーロ払うと中に入れるということなので、迷わずチケットを購入。
(併設されているトイレも2ユーロだったし、価格設定がよくわからないと思ったのはここだけの話)

ドラクエかな??

もう完全に「おお勇者よよくぞ帰ってきた」状態。


いやねえ、もうねえ、ボキャブラリーが足りません。
口開きっぱなしでした。すみません。
あと帽子脱ぎ忘れてたのは普通にすみません。脱帽しないとですよね、神様の前だもの。
まあこの建物、端的に言うと
「マリア様のために作ってみた」
だから、もうぶっ飛んでるなあ、と。
兎にも角にも、これはもう一見の価値ありと断言しておこう。
あとはショッピングをしたり面白そうなお土産を見て回ったり
街を散策してこの日は終わり。







この路面だとロードバイクはそりゃあ厳しいよねえ。

ラウンドアバウトは慣れないと横断のタイミングが掴みにくい。
あまりに衝撃的な芸術を目の当たりにして脳が疲れてしまった。
欧州に来てからというもの、毎日刺激的なことばかりだ。
知らない世界が世界にはまだまだたくさんある。
特に欧州のこの歴史を感じさせる街並みと建造物には驚かされてばかり。
日本は地震大国だから・・・・と言ってしまえばそれまでだけど
それにしてもレベルが違うな、と。
きっと宗教的背景も大いに関わっているのだと、思う。
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