【冬の青森自転車旅】最果ての地へ。自転車で巡るにはあまりにも果てしない青森旅。【大間崎~尻屋崎】
自転車, 写真, 機材紹介, ロングライド, キャンプツーリング, 聖地巡礼, 東北,
カイロのおかげだろうか、目が覚めた時も冷たさを感じなかった。
これはいい。
眠い目をこすりながら、iPhoneで時刻を確認する。4時。
外はまだまだ暗いけれど、空気感のせいか、風の靡き方のせいか、確信した。
今日は、晴れだ。

これはいい。
眠い目をこすりながら、iPhoneで時刻を確認する。4時。
外はまだまだ暗いけれど、空気感のせいか、風の靡き方のせいか、確信した。
今日は、晴れだ。

腹が減ってはなんとやら。
昨晩、買い込んでいたパンを食べながら、今日のルートを確認した。
ずうっと海岸線沿いを東に向かって走って、尻屋崎へ。70kmくらい。
ちなみに一応iPhoneだけではなく、ツーリングマップも用意していた。
北海道旅では大変お世話になった書籍である。
普段のロードバイク旅なら荷物を減らすためにこんな本は持ち歩かないけれど
キャンプツーリングなら多少荷物が増えても問題ないし
何よりこの本は信頼できる。(バイク向けなのが難点だけれど)
テントの外に出てみると、相変わらず極寒だ。笑えてくる。
用意していた最も暖かい恰好で、例の炊事場まで行って、顔を洗い、歯を磨く。
ようやく目が覚めてきた。
空を見上げると、ずいぶん星が見えた。
さすが、都会とは違う。
耳を澄まさなくても、波の音が聞こえる。
なにせこのキャンプサイトから海まで、100mくらいしかないのだから。


空が黒から群青色に変わるころ、テントの撤収を開始した。
ちょうどそのタイミングで、地元の人と思わしきおじいさんに声を掛けられる。
おじ「にーちゃん、どっから来た?」
私「えっと、大阪です。」
おじ「大阪かー、わしも昔はうんたらかんたら」
気付いたら20分くらい経っていた。
さすがおじいさん昔話をさせると歯止めが効かない・・・っ!!
まあでもこうしてその土地の人と話をするのは面白い。
一昨日からよく声をかけられるけれど
きっとこの季節のツーリストが珍しいからだろう。
おじいさんが去って、準備も整った頃、またしても声をかけられる。
次は20代~30代くらいのお兄さんだ。
どうやらキャンプサイトの駐車場で、車中泊をしていたようだ。
話しを聞くと、車で東北を周っているらしい。
昔はランドナーで北海道を旅していたこともあったらしく、自転車の話にも花が咲く。
これも縁だからと、去り際に温かいお茶をご馳走してくれた。ありがたい。
最後に何故か写真を撮られて、お別れ。
ありがとう出会い。

黒いのはグラウンドシート。地面からの冷気や湿気を防ぐ。
奥のはテントの上にかぶせるもので、外気からテントを守る。

さて、3日目スタートだ。
晴れだ。晴れだよ!!
朝日が眩しい。

昨日とは違う表情を見せる大間の町を少し楽しんだ後、
コンビニで朝ごはん二回目と、補給食を買い込む。
津軽海峡を左手に眺めながら、朝靄が立ち込める海岸線を、東に向かってひた走る。


大間の町もそうだったけれど、本当に、昨日と全然違う表情を見せてくれる。
同じ場所かと疑うくらいに。


朝靄で撹拌された朝日がまぶしい。
空気中の水分に反射して、ずっと遠くまで道路が光ってみえる。
一方で、振り向くと、太陽を背にする訳で、
抜けるような青。

マイペースのまま、景色を楽しみながら走る。
途中の木野部峠(きのっぺ・きのべ)からは、素晴らしい眺望を目にすることができた。


ちなみにこの、はまなすライン、ところどころに廃線跡があるもよう。
水道橋のような構造が残っていて、その上を線路が走っていたのかしら。
廃線マニアにとっていい場所なのかも、とか想像したり。
こうも天気で変わるとは。
自転車旅をしていると、いろんな判断をすべて自分でして、コトを進めているように思えても
どうしようもない外的要因に行動が左右されることもある。
そんな摂理を感じずにはいられない。

ずっと昔にテレビで見たことある奴'`,、('∀`) '`,、

30kmほど、走っただろうか。
大畑あたりからは、国道を逸れて、町中を突っ切る道路をゆったり走る。

そろそろコンビニかどこかで補給したいと思っていたけれど、見事に何もない・・・!
時刻もまだ8時くらいだし、商店も開いていないもよう。仕方ない、耐える。
青い海と、空と、大地をぼーっと眺めてるうちに、
まわりの風景が変わっていることに気付く。


おう、民家すらないぞ。
かわりになんだろう、工場というか、研究所というか、そんな感じの建物地帯に。


里香里香


「原子力うんたらかんたら」「再利用資源ほにゃらら」とか、妙に壁が高い施設が多い。
007の舞台になりそうな。
監視カメラもやたらと多かったし、重要なところなのね。
そういった地帯も抜けると、いよいよ本当に何もなくなってしまった。
道、しかない。

コンビニがないとかそういうレベルじゃねーぞ!!
ここまで来ると北海道とかと変わらない。
青森にいることを忘れてしまいそうだった。
いや、それ以前に、ここはどこだろうと、考えさせられる。
自転車で走ってきたし、当然、日本なんだけど
ずっと遠いところに来たような感覚。
もちろん誰ともすれ違わないものと思っていると
正面から旅人が。
歩いている。
なぜ旅人と分かったかというと、それはもう出で立ちがそうだったから。
きっと歩いて日本一周とまでは言わなくとも、それに近いことをしているんだろう。
30代くらいの男性だろうか。
すれ違う時にお互い挨拶をする。それだけ。
一瞬、とまって話しかけてみようかとも思ったけれど、相手のペースを崩すのも悪いし。

自転車でも数十分、同じような風景が流れるこの道を
歩いて移動するというのはどういう心境になるんだろう。
想像ができない。
けれど私のしていることも、自転車にそんなに乗らない人からすると
大差はないのかもしれない。
いったいどういう心境で走っているんだろう、と思われても、まあ仕方ない。
旅をしていると「どうして自転車で?」って質問は
割とよく受けるけれど、シンプルに答えるとすれば
「自転車がちょうどいいから」
歩くには遅すぎるし、バイクや車では速すぎる。
これは完全に個人の感覚によるものだけど私には自転車がちょうどいい。
それに、自転車は、それなりに距離も走れる。
自分次第だ。
15kmはそんな道が続いただろうか。
もうすっかり最果ての地に来てしまった気分だったけれど、尻屋崎はまだ先だ。
そろそろかなと思っていると、ちょうど青看板が見えた。

ようやく県道に合流することができた。
お腹ぺこぺこである。どこかで補給したい。


と、言っても、コンビニの欠片もないような雰囲気ではある。
相変わらず建物すらない。
(仕方ない、先に進むしかない)
ほぼ真北に向かって、道をなぞっていく。
山々は完全に色づいている、というかむしろそろそろ彩りも枯れそうだ。
青森の冬ははやい。

ようやく補給ができそうなところがあった。
道の駅・・・のような施設が。
売店と、レストランと、観光情報が書かれたリーフレット等が置かれているスペースが
お弁当箱のおかずみたいに詰められた小さな施設だ。
もちろんレストランでの食事を期待していたのに
なんと今はやっていないとのこと。
仕方なく、売店で何か食べられそうなものを物色する。
が、これといってない・・・。
お土産の羊羹とかクッキーとか、冷蔵の魚とかお肉とか・・・
そんな中見つけたのがこの
いかうにである。

烏賊、と、雲丹、である。
ここ下北半島で捕れた烏賊に雲丹を詰め込んだもので
うん、なかなか豪華だ。
珍味だと思って購入。630円也。

これが食べてみると予想以上に美味しくって
烏賊も大きいし、雲丹がたっぷり詰まってるし、いやいや、意外とお腹の足しになって助かった。
再び自転車にまたがって、北を目指す。
しばらくすると小さな町にたどり着いた。
東通村とかいうところだ。
ここも下北半島の他の町と違わず、海産物が特産品らしい。
道路は内陸寄りを走っていて、町は海と道路の間に位置していたから
結局、まともにこの町を見ることは無かった。
ここに住む人はどこへ買い物に行くんだろう・・・?
右手には山・・・というよりは丘が広がっていて
その先には風車がいくつか見えた。

とても大きい。
ちょうど太陽が私と風車を結んだ延長線上にあって
くるくる回る羽の陰が地面に落ちる。
遠目に見てると分からないけれど、地面の陰はものすごい速さで移動している。
はるか上空の飛行機の陰が、突如地面にうつるように。
いったいどれくらいの発電量なんだろう。

気付くと道路は海沿いを走っていた。
一気に風が強くなる。横風だ!
あおられないように注意しながらペダルをまわす。

途中、商店があった。
助かった。補給ができる。

アンパンなど等を買い込む。
結局、下北半島の北海岸線沿いは大間にしかコンビニがないことが分かった。
今朝、朝ご飯を求めて立ち寄ったあのコンビニが今日最後のコンビニだったんだ・・・!
安心を買い込んだところで再スタート。
とてつもなく大きな工場地帯を抜ける。




この配管で山で採掘した岩やら何やらを、あすこの船まで運ぶんだろうか。
工場地帯の後はいよいよ何も無い雰囲気が漂ってきた。
しばらく走るとゲートが見えてきた。

尻屋崎のゲート!
一応、寒立馬が逃げないようにするためのゲートらしい。
ちなみにこのゲート、ぱっと見封鎖されているように見えても
実際は近づけば勝手に開くタイプ。センサー付きなのねー。
冬期は閉鎖されているらしい。(自転車なら軽々入れそうだけれど)
あ、寒立馬というのは、ここ尻屋崎で放し飼いされている馬のことで、
詳しくは後ほど。

自動開閉のゲートをくぐって、先端の岬へ進む。
風が強いせいか、木々が少なく、荒涼とした土地が続く。
うーん、何も無いってレベルじゃない。
最果て感、はんぱない。


ガードレールもない海沿いの道を進むと・・・

灯台がみえた!
意味が分からないくらい強い風の中突き進んで到着ー

尻屋崎灯台!
やっぱり岬の雰囲気っていいなー。
売店も、自販機も、観光客もいない。
振り返るとさっきまで自分が走っていた道がずっと遠くまで見える。
なんともいえない達成感。


一応ここ、本州最“東北”端の地。
通称で「日本最涯の地」と呼ばれているらしい。
なお「日本最涯の地」の碑は撮り忘れたもよう。

確かにその何恥じない最果てっぷりだった。
日本に数多く存在する岬の中でもトップクラスの最果てっぷり。

20分程あたりを散策しまわって、さて、馬はどこだろうと思ってるとちょうど観光客らしきご夫婦が車でやってきた。
向こうから話しかけてきて色々話している中で
「馬ならあっち側にいたよー」とのこと。
私が来た道を反対方向だ。
早速向かってみることに!
それにしてもこの半島、風が強い。
大間崎ほどではないけれど。
うねる波はかなり高い。ちょっと見てて恐いくらい。
自然の力には絶対に叶わないなーと思わずにはいられない。


景色をぼけーと眺めながら走っていると

突然の馬!!
すごい、普通に歩いてらっしゃる。
そして大きい。ものすごく大きい。小さい象くらいのサイズがある気がする。


寒立馬(wikipediaより)
寒立馬(かんだちめ)は、青森県下北郡東通村尻屋崎周辺に放牧されている馬。厳しい冬にも耐えられるたくましい体格の馬である。放牧されており、観光道路を歩いていることもよくある。寒気と粗食に耐え持久力に富む農用馬として重用されてきたが1995年(平成7年)には9頭まで激減した。しかしその後の保護政策により40頭ほどに回復した。寒立馬及びその生息地は青森県の天然記念物に指定されている。 かつては「野放馬」と呼ばれたが、昭和45年(1970年)に尻屋小中学校の岩佐勉校長が年頭の書き初め会で、「東雲に勇みいななく寒立馬 筑紫が原の嵐ものかは」と詠んで以来、「寒立馬」と呼ぶようになった。 尻屋崎周辺は冬期閉鎖され、アタカと呼ばれる放牧地で冬を過ごす。
自転車を停めて馬と戯れる。
身体を触っても全然いやがらない。
というか無視?全然気にしていないという感じ。
農耕馬らしい足付きをしている。
輓馬みたいなものかしら?

丘っぽいところに登ってみると思ったよりたくさんいてワロタ
可愛いなーおい。

青空と水平線と緑芝と馬の組み合わせ。これは和む。
動画!
ここだけは観光客が2〜3組常に張り付いていたかしら。
日によって出没エリアが変わるようだけれど
この感じだとどこかしらでは必ず見ることができそう。
ちなみにこの半島、至る所に馬の糞があるから走る時は要注意かも。
一通り満喫した後、尻屋崎を後にする。
いやー、いい場所だった。何も無くて。
夏に来たらまた雰囲気が違うんだろうなー。。


さて、お腹が空いてきたということで
来る時に目にした食堂へ行くことに。

海峡食堂「善」で頼むは、ここ地元、東通和牛の石焼定食!


美味ー!
海鮮丼とか、焼き魚の定食とか、
ものすごく美味しそうだったけれど
青森に着いてから海鮮ものしか食べてなかったからつい。
いやあでも美味しかった。地産地消すばらしい。

水平線を眺めながら食事ができる。
観光客にも人気っぽい(というかこのあたりはここくらいしかない。)


お腹を満たしたところで、むつ市まで舞い戻ることに。
ちょっとした山を越える30kmのコース。
ただのロードバイクならなんてことないけれど、キャンプツーリング仕様だとそれなりに応える。


さて、と。
どうしようか。
日程的にはまだ2日あるけれど、どこへ行こうか。
ずっと南下したところにある八戸では日曜朝市というものが明日あるらしい。
それに行くのもあり。
でも・・・うん、私、この段階で割と色々なことに満足していた。
冬の青森の景色、津軽海峡の大自然、美味しい海鮮料理の数々、極寒のテント泊のノウハウ。
当初の目的・・・この身で体感したいことはすべて満喫することができた。
ということで、帰宅することに!
思い立ったが即時、である。
後悔なんてあるわけない。

青い森鉄道の始発駅、大湊駅へ。
駅員さんに、「今から大阪まで帰りたいですけど・・・」
って言うと一瞬「!?」みたいな顔をされた。
無理も無い。ここから大阪まで約1,300km。
ぱぱっと調べてくれて、どうやら今日中に帰ることができるっぽい。すごい。
無理だったらおとなしく適当に南下してテント泊して岩手くらいまで行こうと思っていた。

こんなに切符渡されて私大パニック。
行程は
15:50大湊駅→(JR快速リゾートあすなろ下北4号)→野辺地駅→(青い森鉄道)→八戸駅→(新幹線はやぶさ)→東京駅→(新幹線のぞみ) →新大阪駅23:45。
7時間55分の電車旅である。
日本の鉄道網に感謝。

改札って言葉、こういう使い方するんだ・・・
往路と同じく、Kindleがあるから暇つぶしには困らなかった。
iPhoneもあるしね。本もゲームも音楽もオールインワン時代まじ便利。


リゾートあすなろで突然、車内販売が始まったのはびっくりした。
いや、車内販売はまあ珍しくないんだけど
なんか海女さん?とか漁師さん?のような格好の男女二人組が、地元下北産のいろいろを籠に入れて
一つ一つの座席をまわって販売していた。
私も思わずお土産用にと、海苔を買ってしまった。



八戸駅では一風変わった待合所が。
なんとヒーターが付いている。頭の上に。
下に入ってみると確かに暖かい。
けれどこれ頭ばっかり暖かくなってぼーっとしたりしないんだろうか・・・?
東京〜大阪はもう慣れたもの。
終電だったせいか、超満員で立ってる人も結構いたなー。
幸い私は列の最前にいたから荷物も席も問題なかったけれど。
大阪に着いてからは自宅までの5km程をたらたら走るのみ。
たった4日ぶりの自宅だったけれど、ずいぶん懐かしく感じた。
屋根があることの有り難みを、改めて感じた。
コトの発端は、冬のテント泊を試してみたい、
そして津軽海峡冬景色を見てみたい、
だった。
結果としてなかなかどうして満足度の高い旅になった。
「なんでこんな季節に?」
と聞かれてばかりだったけれど、こんな季節だからこそ見れない景色があった、と、今は声を大にして答えることができる。
裏を返せば
夏にはどんな景色が広がっているんだろう、見てみたい、と思うことも何度かあった。
それはまたいつかの旅で。
終わり。

自転車,
写真,
機材紹介,
ロングライド,
キャンプツーリング,
聖地巡礼,
東北,
昨晩、買い込んでいたパンを食べながら、今日のルートを確認した。
ずうっと海岸線沿いを東に向かって走って、尻屋崎へ。70kmくらい。
ちなみに一応iPhoneだけではなく、ツーリングマップも用意していた。
北海道旅では大変お世話になった書籍である。
普段のロードバイク旅なら荷物を減らすためにこんな本は持ち歩かないけれど
キャンプツーリングなら多少荷物が増えても問題ないし
何よりこの本は信頼できる。(バイク向けなのが難点だけれど)
テントの外に出てみると、相変わらず極寒だ。笑えてくる。
用意していた最も暖かい恰好で、例の炊事場まで行って、顔を洗い、歯を磨く。
ようやく目が覚めてきた。
空を見上げると、ずいぶん星が見えた。
さすが、都会とは違う。
耳を澄まさなくても、波の音が聞こえる。
なにせこのキャンプサイトから海まで、100mくらいしかないのだから。


空が黒から群青色に変わるころ、テントの撤収を開始した。
ちょうどそのタイミングで、地元の人と思わしきおじいさんに声を掛けられる。
おじ「にーちゃん、どっから来た?」
私「えっと、大阪です。」
おじ「大阪かー、わしも昔はうんたらかんたら」
気付いたら20分くらい経っていた。
さすがおじいさん昔話をさせると歯止めが効かない・・・っ!!
まあでもこうしてその土地の人と話をするのは面白い。
一昨日からよく声をかけられるけれど
きっとこの季節のツーリストが珍しいからだろう。
おじいさんが去って、準備も整った頃、またしても声をかけられる。
次は20代~30代くらいのお兄さんだ。
どうやらキャンプサイトの駐車場で、車中泊をしていたようだ。
話しを聞くと、車で東北を周っているらしい。
昔はランドナーで北海道を旅していたこともあったらしく、自転車の話にも花が咲く。
これも縁だからと、去り際に温かいお茶をご馳走してくれた。ありがたい。
最後に何故か写真を撮られて、お別れ。
ありがとう出会い。

黒いのはグラウンドシート。地面からの冷気や湿気を防ぐ。
奥のはテントの上にかぶせるもので、外気からテントを守る。

さて、3日目スタートだ。
晴れだ。晴れだよ!!
朝日が眩しい。

昨日とは違う表情を見せる大間の町を少し楽しんだ後、
コンビニで朝ごはん二回目と、補給食を買い込む。
津軽海峡を左手に眺めながら、朝靄が立ち込める海岸線を、東に向かってひた走る。


大間の町もそうだったけれど、本当に、昨日と全然違う表情を見せてくれる。
同じ場所かと疑うくらいに。


朝靄で撹拌された朝日がまぶしい。
空気中の水分に反射して、ずっと遠くまで道路が光ってみえる。
一方で、振り向くと、太陽を背にする訳で、
抜けるような青。

マイペースのまま、景色を楽しみながら走る。
途中の木野部峠(きのっぺ・きのべ)からは、素晴らしい眺望を目にすることができた。


ちなみにこの、はまなすライン、ところどころに廃線跡があるもよう。
水道橋のような構造が残っていて、その上を線路が走っていたのかしら。
廃線マニアにとっていい場所なのかも、とか想像したり。
こうも天気で変わるとは。
自転車旅をしていると、いろんな判断をすべて自分でして、コトを進めているように思えても
どうしようもない外的要因に行動が左右されることもある。
そんな摂理を感じずにはいられない。

ずっと昔にテレビで見たことある奴'`,、('∀`) '`,、

30kmほど、走っただろうか。
大畑あたりからは、国道を逸れて、町中を突っ切る道路をゆったり走る。

そろそろコンビニかどこかで補給したいと思っていたけれど、見事に何もない・・・!
時刻もまだ8時くらいだし、商店も開いていないもよう。仕方ない、耐える。
青い海と、空と、大地をぼーっと眺めてるうちに、
まわりの風景が変わっていることに気付く。


おう、民家すらないぞ。
かわりになんだろう、工場というか、研究所というか、そんな感じの建物地帯に。


里香里香


「原子力うんたらかんたら」「再利用資源ほにゃらら」とか、妙に壁が高い施設が多い。
007の舞台になりそうな。
監視カメラもやたらと多かったし、重要なところなのね。
そういった地帯も抜けると、いよいよ本当に何もなくなってしまった。
道、しかない。

コンビニがないとかそういうレベルじゃねーぞ!!
ここまで来ると北海道とかと変わらない。
青森にいることを忘れてしまいそうだった。
いや、それ以前に、ここはどこだろうと、考えさせられる。
自転車で走ってきたし、当然、日本なんだけど
ずっと遠いところに来たような感覚。
もちろん誰ともすれ違わないものと思っていると
正面から旅人が。
歩いている。
なぜ旅人と分かったかというと、それはもう出で立ちがそうだったから。
きっと歩いて日本一周とまでは言わなくとも、それに近いことをしているんだろう。
30代くらいの男性だろうか。
すれ違う時にお互い挨拶をする。それだけ。
一瞬、とまって話しかけてみようかとも思ったけれど、相手のペースを崩すのも悪いし。

自転車でも数十分、同じような風景が流れるこの道を
歩いて移動するというのはどういう心境になるんだろう。
想像ができない。
けれど私のしていることも、自転車にそんなに乗らない人からすると
大差はないのかもしれない。
いったいどういう心境で走っているんだろう、と思われても、まあ仕方ない。
旅をしていると「どうして自転車で?」って質問は
割とよく受けるけれど、シンプルに答えるとすれば
「自転車がちょうどいいから」
歩くには遅すぎるし、バイクや車では速すぎる。
これは完全に個人の感覚によるものだけど私には自転車がちょうどいい。
それに、自転車は、それなりに距離も走れる。
自分次第だ。
15kmはそんな道が続いただろうか。
もうすっかり最果ての地に来てしまった気分だったけれど、尻屋崎はまだ先だ。
そろそろかなと思っていると、ちょうど青看板が見えた。

ようやく県道に合流することができた。
お腹ぺこぺこである。どこかで補給したい。


と、言っても、コンビニの欠片もないような雰囲気ではある。
相変わらず建物すらない。
(仕方ない、先に進むしかない)
ほぼ真北に向かって、道をなぞっていく。
山々は完全に色づいている、というかむしろそろそろ彩りも枯れそうだ。
青森の冬ははやい。

ようやく補給ができそうなところがあった。
道の駅・・・のような施設が。
売店と、レストランと、観光情報が書かれたリーフレット等が置かれているスペースが
お弁当箱のおかずみたいに詰められた小さな施設だ。
もちろんレストランでの食事を期待していたのに
なんと今はやっていないとのこと。
仕方なく、売店で何か食べられそうなものを物色する。
が、これといってない・・・。
お土産の羊羹とかクッキーとか、冷蔵の魚とかお肉とか・・・
そんな中見つけたのがこの
いかうにである。

烏賊、と、雲丹、である。
ここ下北半島で捕れた烏賊に雲丹を詰め込んだもので
うん、なかなか豪華だ。
珍味だと思って購入。630円也。

これが食べてみると予想以上に美味しくって
烏賊も大きいし、雲丹がたっぷり詰まってるし、いやいや、意外とお腹の足しになって助かった。
再び自転車にまたがって、北を目指す。
しばらくすると小さな町にたどり着いた。
東通村とかいうところだ。
ここも下北半島の他の町と違わず、海産物が特産品らしい。
道路は内陸寄りを走っていて、町は海と道路の間に位置していたから
結局、まともにこの町を見ることは無かった。
ここに住む人はどこへ買い物に行くんだろう・・・?
右手には山・・・というよりは丘が広がっていて
その先には風車がいくつか見えた。

とても大きい。
ちょうど太陽が私と風車を結んだ延長線上にあって
くるくる回る羽の陰が地面に落ちる。
遠目に見てると分からないけれど、地面の陰はものすごい速さで移動している。
はるか上空の飛行機の陰が、突如地面にうつるように。
いったいどれくらいの発電量なんだろう。

気付くと道路は海沿いを走っていた。
一気に風が強くなる。横風だ!
あおられないように注意しながらペダルをまわす。

途中、商店があった。
助かった。補給ができる。

アンパンなど等を買い込む。
結局、下北半島の北海岸線沿いは大間にしかコンビニがないことが分かった。
今朝、朝ご飯を求めて立ち寄ったあのコンビニが今日最後のコンビニだったんだ・・・!
安心を買い込んだところで再スタート。
とてつもなく大きな工場地帯を抜ける。




この配管で山で採掘した岩やら何やらを、あすこの船まで運ぶんだろうか。
工場地帯の後はいよいよ何も無い雰囲気が漂ってきた。
しばらく走るとゲートが見えてきた。

尻屋崎のゲート!
一応、寒立馬が逃げないようにするためのゲートらしい。
ちなみにこのゲート、ぱっと見封鎖されているように見えても
実際は近づけば勝手に開くタイプ。センサー付きなのねー。
冬期は閉鎖されているらしい。
あ、寒立馬というのは、ここ尻屋崎で放し飼いされている馬のことで、
詳しくは後ほど。

自動開閉のゲートをくぐって、先端の岬へ進む。
風が強いせいか、木々が少なく、荒涼とした土地が続く。
うーん、何も無いってレベルじゃない。
最果て感、はんぱない。


ガードレールもない海沿いの道を進むと・・・

灯台がみえた!
意味が分からないくらい強い風の中突き進んで到着ー

尻屋崎灯台!
やっぱり岬の雰囲気っていいなー。
売店も、自販機も、観光客もいない。
振り返るとさっきまで自分が走っていた道がずっと遠くまで見える。
なんともいえない達成感。


一応ここ、本州最“東北”端の地。
通称で「日本最涯の地」と呼ばれているらしい。
なお「日本最涯の地」の碑は撮り忘れたもよう。

確かにその何恥じない最果てっぷりだった。
日本に数多く存在する岬の中でもトップクラスの最果てっぷり。

20分程あたりを散策しまわって、さて、馬はどこだろうと思ってるとちょうど観光客らしきご夫婦が車でやってきた。
向こうから話しかけてきて色々話している中で
「馬ならあっち側にいたよー」とのこと。
私が来た道を反対方向だ。
早速向かってみることに!
それにしてもこの半島、風が強い。
大間崎ほどではないけれど。
うねる波はかなり高い。ちょっと見てて恐いくらい。
自然の力には絶対に叶わないなーと思わずにはいられない。


景色をぼけーと眺めながら走っていると

突然の馬!!
すごい、普通に歩いてらっしゃる。
そして大きい。ものすごく大きい。小さい象くらいのサイズがある気がする。


寒立馬(wikipediaより)
寒立馬(かんだちめ)は、青森県下北郡東通村尻屋崎周辺に放牧されている馬。厳しい冬にも耐えられるたくましい体格の馬である。放牧されており、観光道路を歩いていることもよくある。寒気と粗食に耐え持久力に富む農用馬として重用されてきたが1995年(平成7年)には9頭まで激減した。しかしその後の保護政策により40頭ほどに回復した。寒立馬及びその生息地は青森県の天然記念物に指定されている。 かつては「野放馬」と呼ばれたが、昭和45年(1970年)に尻屋小中学校の岩佐勉校長が年頭の書き初め会で、「東雲に勇みいななく寒立馬 筑紫が原の嵐ものかは」と詠んで以来、「寒立馬」と呼ぶようになった。 尻屋崎周辺は冬期閉鎖され、アタカと呼ばれる放牧地で冬を過ごす。
自転車を停めて馬と戯れる。
身体を触っても全然いやがらない。
というか無視?全然気にしていないという感じ。
農耕馬らしい足付きをしている。
輓馬みたいなものかしら?

丘っぽいところに登ってみると思ったよりたくさんいてワロタ
可愛いなーおい。

青空と水平線と緑芝と馬の組み合わせ。これは和む。
動画!
ここだけは観光客が2〜3組常に張り付いていたかしら。
日によって出没エリアが変わるようだけれど
この感じだとどこかしらでは必ず見ることができそう。
ちなみにこの半島、至る所に馬の糞があるから走る時は要注意かも。
一通り満喫した後、尻屋崎を後にする。
いやー、いい場所だった。何も無くて。
夏に来たらまた雰囲気が違うんだろうなー。。


さて、お腹が空いてきたということで
来る時に目にした食堂へ行くことに。

海峡食堂「善」で頼むは、ここ地元、東通和牛の石焼定食!


美味ー!
海鮮丼とか、焼き魚の定食とか、
ものすごく美味しそうだったけれど
青森に着いてから海鮮ものしか食べてなかったからつい。
いやあでも美味しかった。地産地消すばらしい。

水平線を眺めながら食事ができる。
観光客にも人気っぽい(というかこのあたりはここくらいしかない。)


お腹を満たしたところで、むつ市まで舞い戻ることに。
ちょっとした山を越える30kmのコース。
ただのロードバイクならなんてことないけれど、キャンプツーリング仕様だとそれなりに応える。


さて、と。
どうしようか。
日程的にはまだ2日あるけれど、どこへ行こうか。
ずっと南下したところにある八戸では日曜朝市というものが明日あるらしい。
それに行くのもあり。
でも・・・うん、私、この段階で割と色々なことに満足していた。
冬の青森の景色、津軽海峡の大自然、美味しい海鮮料理の数々、極寒のテント泊のノウハウ。
当初の目的・・・この身で体感したいことはすべて満喫することができた。
ということで、帰宅することに!
思い立ったが即時、である。
後悔なんてあるわけない。

青い森鉄道の始発駅、大湊駅へ。
駅員さんに、「今から大阪まで帰りたいですけど・・・」
って言うと一瞬「!?」みたいな顔をされた。
無理も無い。ここから大阪まで約1,300km。
ぱぱっと調べてくれて、どうやら今日中に帰ることができるっぽい。すごい。
無理だったらおとなしく適当に南下してテント泊して岩手くらいまで行こうと思っていた。

こんなに切符渡されて私大パニック。
行程は
15:50大湊駅→(JR快速リゾートあすなろ下北4号)→野辺地駅→(青い森鉄道)→八戸駅→(新幹線はやぶさ)→東京駅→(新幹線のぞみ) →新大阪駅23:45。
7時間55分の電車旅である。
日本の鉄道網に感謝。

改札って言葉、こういう使い方するんだ・・・
往路と同じく、Kindleがあるから暇つぶしには困らなかった。
iPhoneもあるしね。本もゲームも音楽もオールインワン時代まじ便利。


リゾートあすなろで突然、車内販売が始まったのはびっくりした。
いや、車内販売はまあ珍しくないんだけど
なんか海女さん?とか漁師さん?のような格好の男女二人組が、地元下北産のいろいろを籠に入れて
一つ一つの座席をまわって販売していた。
私も思わずお土産用にと、海苔を買ってしまった。



八戸駅では一風変わった待合所が。
なんとヒーターが付いている。頭の上に。
下に入ってみると確かに暖かい。
けれどこれ頭ばっかり暖かくなってぼーっとしたりしないんだろうか・・・?
東京〜大阪はもう慣れたもの。
終電だったせいか、超満員で立ってる人も結構いたなー。
幸い私は列の最前にいたから荷物も席も問題なかったけれど。
大阪に着いてからは自宅までの5km程をたらたら走るのみ。
たった4日ぶりの自宅だったけれど、ずいぶん懐かしく感じた。
屋根があることの有り難みを、改めて感じた。
コトの発端は、冬のテント泊を試してみたい、
そして津軽海峡冬景色を見てみたい、
だった。
結果としてなかなかどうして満足度の高い旅になった。
「なんでこんな季節に?」
と聞かれてばかりだったけれど、こんな季節だからこそ見れない景色があった、と、今は声を大にして答えることができる。
裏を返せば
夏にはどんな景色が広がっているんだろう、見てみたい、と思うことも何度かあった。
それはまたいつかの旅で。
終わり。
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